昨日のつづき
竹本鉢と苔州鉢の類似の謎を解く鍵は意外なところに有りました
30年の空白を埋めるある人物がいたのです
その人物Yさんは、すでに物故されていますが
若い頃より苔州と親交があり、また竹本の遺族の家にも出入りしていました
明治38年生まれといいますから、明治30年生まれの苔州とは世代的にも矛盾しませんね
代々東京で手広く盆栽園を営む家系に生まれ、ご自分も盆栽園を経営していました
晩年、跡継ぎの息子さんたちに苔州との親交を語っていたそうです
それによると、Yさんが竹本の没後に残されて竹本作の素焼き鉢を買い取り
それを親しい苔州に施釉、焼成してもらった鉢が存在するそうです
そうなるとその作品は、竹本のボディーに苔州が釉薬を施し焼成したのですから
二人の合作ということになりますね
また昨日の古老間に伝えられる
「竹本の没後(明治25年)遺族の手に残された複数の石膏型は
その後、市川苔州の持ち物となり、それらを用いて苔州が制作したために
竹本鉢と苔州鉢には形や大きさの同じものが存在する」
という話の真実性も出てきます
つまり竹本の石膏型を苔州に斡旋した人物もYさんであるという推理成り立ちます
これは確率の高い話ですね
ですから、合作と石膏型からの二つ理由から竹本鉢と苔州鉢には
大きさや形がそっくりで、土目や釉薬の異なる鉢が現存するのです
盆栽鉢の歴史に残る二人の作家の接点は、意外な角度から見えてきました
Yさんこそが小鉢史の舞台回しをしてくれた、キーポイントの人物だったのです
小春日和の一日、Yさんの息子さんのお話を聞きに行ってきました
竹本鉢
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