2018年2月27日火曜日

アマチュア小鉢作家

去る者は日々に疎しという、ちょっとはかなく寂しい諺がありますが、基本的に古さを尊ぶ盆栽の世界に棲んでいると、突然の機会に過去の人や思い出の品に接して感慨にふけることがあります。

先日市内の小さな盆栽交換会で、盆栽をおやめになったという方の土払いがあって、私も小鉢数十個の一山を買いました。無造作にプラスチックの箱に一山にされたほこりだらけのその一山に何故か親しみのようなものを感じたのです。

家に帰って気になった数個の鉢を洗ってみると、やっぱりその直感は当たっていました。その中の一鉢は、むかし親しくお付き合いをし、今から15年ほど前に物故されたIさんの作品だったのです。

窯変切立額入長方(落款・頼仙)間口8.5×奥行き7.0×高さ2.7cm

私の盆栽教室に通い、機会があって小鉢の製作にも手を染め、ご覧のような本格的な作品が作れるまでに上達しました。自作の盆栽を自作鉢に入れて楽しむという道楽の極致に達した訳ですね。

窯は茨城県の笠間焼きで借り窯(かりがま)をしていました。そのため温度は高く、この作品のようにたまに面白い窯変(ようへん)が出て喜んでいました。

この長方鉢も地元で「エラボ」と呼ぶ釉薬(薄めの黄土色)に窯変が出て、赤味を帯びて焦げたような風雅な味になっただと思います。

もともと意図した釉薬の色彩は縁に近いあたりの黄土色のようです。そして、無傷で完品。

普段から「頼仙作」(らいせん)の落款でした。

Iさんの長男さんと私は同い年でしたから、ちょうど私の父親と同じ時代の人でした。温厚篤実とはあのような人のことを言うのだと、誰もが納得できる人柄で、地元の盆栽会のリーダとして活躍しました。趣味はそう、盆栽と晩酌でした。
盆栽界にいる限りまたIさんの作品に巡り合うでしょう。

それまで、しばらく、さようなら、Iさん!


2018年2月26日月曜日

フリースクール(ずみ)

ずみはリンゴや深山カイドウなどの仲間。盆栽に仕立てると枝がとげとげして持ち味が野生的です。木肌に古色感や錆びた雰囲気も具えていて、実物盆栽としては玄人好みで人気の高い樹種です。

今日のご紹介は、そのズミの樹高15cmくらいの太くて短い迫力満点の小品で、将来有望なシロモノです。クロちゃんに買っていただいて既に3~4年経ったでしょうが、この1~2年で培養の成果が顕著になってきたのが見てとれます。

ふといボディーと地づらぎりぎりから出た力強い差し枝に特徴があります。クロちゃんの前の持ち主は私で、3年くらい持っていたでしょうか。私のころには木の正面が反対、つまり今の正面は裏側だったのですが、クロちゃんは当初から裏表を交代するつもりだったようです。

作柄ものって順調に太っています。とくに頭の部分の充実ぶりが目立っています。木の表裏を変更したのでために、クロちゃんの第一の課題は芯の部分を作り込むことだったのです。

さて、ご覧のように枝先のゴツゴツ感がズミの魅力であり、同じ仲間のリンゴやカイドウなどの園芸品種のスマートさとは一味違野生的ですね。

以前は正面だった現在の裏面。

こんなに太くとも無理な切り傷はないのがうれしいですね。ボディーと主要枝の基本は出来上がっているので、あと3年くらい小枝作りに専念すれば、かなりの出世が期待できます。

クロちゃんがんばれ!ズミくんがんばれ!

2018年2月21日水曜日

舞姫超ボディー

過去にも清姫もみじとか鹿島八房もみじなど、小葉性(こはしょう)の種類が大流行したことがありました。ただ、それはどんなに優れた品種にもいえることですが、優れた魅力の裏側には盲点というか、案外に致命的な欠点が内臓されていることもあります。

そして、ある年限培養されて盆栽として壮年期の充実するころになると、今までは長所とされてきた性質が逆に欠点となってうまくいかないことが顕在化してくるのです。

その端的な例が錦松です。矢羽のように割れて変形する皮の変化が喜ばれた錦松も、幹や枝葉の木質部が肥大せずに皮だけが病的に増殖変化するため、足元や枝元に圧力がかかれば、たちまちわが身を維持することができなくなります。つまり自らの重みを支えきれなくなってしまいます。

清姫もみじなども基本的な性質として、樹勢が弱かったですね。ボディーと枝の骨格が出来上がり、小枝も増えてこれから抑制した培養に移りながら古さを求める段階にさしかかると、いわゆる「ガレ」てくきて部分的な枝枯れをおこしたりしました。

その点、舞姫もみじは挿木での発根率もいいし取木も容易で、樹勢はきわめて旺盛です。切った傷の肉巻きもよく、いわゆる「ヤケ」ることが少ないので非常に作りやすい性質です。そんなわけで、超ミニの素材としては最高です。針金に頼らず、切込みによる「ハサミ作り」でいいミニを作りたいですね。

樹高10cmで足元の幹径は約5.0cm。もう盆栽屋.comのところに5年くらいいます。伸ばしては切り込み、切り込んでは伸ばして、やっとボディーと枝の基本がまとまりかけてきたようです。
今春は根を思い切り裁き、枝も大幅に攻めて、もっと節間の短い枝でしまった樹形をめざしたいですね。

ご覧のように根の状態は健康そのもの。

あらかじめ根の容積をナイフで半分ほどに切り込んでおきましょう。

足元の根張り付近や幹の真下の古い用土をよく振るい落としておきましょう。

ボディーと枝の基本が出来上がれば、次の段階では、根も枝も伸ばし過ぎないように、小さめに作りこむのが最大のポイント。

かなり枝先も追い込みました。樹高を測ってみると8.5cmですが、もっと小さくしたいですね。
目標は7.0cmでしょう。枝の長さも半分が理想でしょう。入梅までにもう一度強い追い込みを実行して全体をもっと小さく締めこみます

後姿

今年の入梅前の芽摘みや剪定がポイントになるでしょう。
またご紹介しましょう。

2018年2月20日火曜日

フリースクール’(舞姫もみじ)

取木無経験の数人の生徒さんはどうも腕がムズムズするらしく、ご自分の名札のついた舞姫もみじを取り出しては眺めております(笑)。
盆栽屋.comとしては、2月はやらずに3月も我慢し、本番は入梅前の5月中旬が最適と思っているのですが、この雰囲気ではとてもそれまでは待てない雰囲気ですな。

スエちゃんの種木ですが、上部の枝がゴチャゴチャしたあたりは、取木をすれば一応立派なミニ盆栽の骨格がゲットできる予定。

でも足元の古くなった部分も捨てちゃうともったいない。素材のすべてを無駄にしないのが宮本流。夏ごろに足元から数cmのところに貫通式呼び接ぎを施して、将来の芯(幹)を作っておきました。

上部を取木したあとはこの呼び接ぎ芽が木のてっぺんになるわけです。ちなみに、この芽がなければ、この素材苗は根から吸い上げた水分を枝葉へ吸い上げることができないので、次第に活動が不活発になって最後には腐って枯れてしまうことになります。

根元から数cmの位置に芽が接がれましたから、素材は上部がなくなっても下部は下部で生きていけます。ですから、毎年盆栽の素材として成長しながら、一方では半永久的に種木として生産活動をし続けるのです。

たとえば舞姫の4年生苗。裾のほうに芽がないと上部を取木した場合に、下部は枯れてしまいます。そこで上部に何本かの徒長枝を水揚げ用に残しておく。

その徒長枝を円状にグルット廻して足元から数cmの場所に呼び接ぎしておくとよい。なに?呼接ぎのやり方がわからない?

そうですね、時間のあるときにゆっくりご紹介しましょうね。チョーやさしいですよ。

2018年2月18日日曜日

水石旧友

今年もまたイギリスの水石愛好家・デイヴィット・サンプソンさんがやってきました。盆栽界最大の催しものである国風展と同時開催される日本の水石展の観覧のためです。彼は6月に開催される明治神宮での水石展示会へも毎回やってきます。


グリーンクラブで水石売店で品定めをするサンプソン氏と友人のウィル氏。彼はサンプソン氏の友人で
昔から通訳をしてくれています。そして、その影響からか、彼も水石が大好きです。

ところで、このサンプソンさんについては水石を含めて、もっとゆっくりいろいろ皆さんにお話をしたいと思っています。時間のある次の機会まで暫くお待ちください。

2018年2月16日金曜日

国風雑談

国風盆栽展示会の審査の雑談記事(複数)が私の過去の盆栽徒然草にありました。
既に10年以上前に書いたものですが、参照してお楽しみください。

とりあえず主なページへリンクしておきますので、いろいろ捜してお読みください。
普段みんさまでは見ることのできない珍しい光景もあるかもしれません。
どうかお楽しみください。

こちらからどうぞ

2018年2月15日木曜日

国風盆栽展第一回③


戦前の糸魚川産真柏の中でも屈指といわれた名木ですが、現存しているという話は耳にしたことない。他のこの白糸の瀧に比肩するような数々の名木も、培養技術の未熟さや戦争による社会の荒廃のために十分な手当てを受けられないままに、失われた例もかなりの数になるのでしょう。

それにしても、見れば見るほど凄いですね。力に溢れ、まるで天から舞い降りて来た龍か魔物のように生命をもった生き物そのもののようです。次には、一陣の風とともに再び天に向かって駆け上がって行ってしまうような感じがします。
戦前の盆栽史によく登場する「尾形雷園」と言うのはこの人でしょう。巧みな技とセンスで現代までも語り継がれている盆栽人です。小品棚飾り、杉、真柏。

天然彫りの高卓(こうしょく)に載った五葉松は、当代随一の名人といわれた斉田金作翁の長男・泰正氏の作品です。私は金作翁の次男の展司氏とはかなり親しく、さまざまな教えを受ける機会がありましたが、残念ながら泰正氏とはそういうチャンスを持つことはできませんでした。

右は三本足の卓ですが、まるで蝋燭たてのようで、いまでは見たことがありません。上には蔓性の植物が螺旋状に下がっています。
左のように平卓にバラバラと小卓を置いて無造作にミニ盆栽を飾るのを観たことがありますが、今ではこんな風にはやらず、もっと気取って飾るでしょうね

左右に真柏を置いて中央に更紗木瓜の一席です。現代では同樹種の飾りは避けるでしょうが、それでも木瓜との取り合わせは明るく綺麗な席になるでしょう。

野性味あふれた蝦夷松の寄せ植え。寄せ植えとは思えないほどの力が感じられます。

中央は五葉松の大懸崖、戦前の盆栽は葉がさが少ないので、現代の盆栽よりもややボリュームが小さく感じられますが、骨格はしっかりしていて骨太です。みごとですね。

一位の古木と左は真柏の一席です。

2018年2月12日月曜日

国風盆栽展第一回②

国風展の今年の入選率はおおよそ80%位だったように聞きました。ここ数年ではちょっとばかりですが、厳しさは持ち直したようです。この数年入場者数は伸びている感じなのに、一方出品数は伸び悩んで業界でもレベルの低下を恐れ危惧する声がだんだんと大きくなってきました。

というのも、つい10年ほどまえまでの競争率は驚異的で、国風展は落ちて当たり前の世界で、入選率は50%前後があたりまえで、厳しく高いハードルが当然と思われていたのです。ですから、国風展は何度も挑戦した挙句の10年選手が初入選することなど珍しくはなかった時代が続いていました。さらに、これほどの難関だからこぞ国風文化のレベルは維持される、と信じられてきた面もあります。

それでは、この国風盆栽展のごく初期のころの盆栽界ではどのような様子だったのでしょうね。
出品者の身分や職業、出品数や樹種、それに樹形の傾向など、推測すれば興味はつきません。

左から石榴、五葉松、真柏の順の一席。現代では三点飾りの場合、一点は草を入れて総体のバランスをとったり季節感を演出するのが常套になっていますが、このころではまだ席飾りの定石の完成度が未熟だったような気がします。

上下三尺七寸(約1.1m以上)の真柏の大懸崖と木瓜と山桜桃。
この時代ですから、真柏は間違いなく山採りものでしょう。現代盆栽の方が葉数は多く作る傾向にありますから、もっとボリュームのあるすごい迫力になるでしょう。

昔はこのような飾り席も設けたようです。左は内村保夫氏の五葉松で、右は斉田金作氏の寒木瓜石付となっています。ちなみにこの斉田金作という方は、現代における木村正彦氏のような存在で、針金掛けによる整形の名人といわれた戦前の先駆者です。

大貫忠三氏といえば戦後のかなり長い時期まで活躍された盆栽史上有数の収集大家です。
左より真柏懸崖、富士桜、蝦夷松の三点飾りです。

それにしても、100年もまえの盆栽の写真を見ながらブログを書いていますが、それらの幹筋のいい、そして、しまりのある枝ぶりの盆栽たちを見ていると、ほとほと感心させられますね。

五葉松と真柏の一席ですが、山採りらしい上品な持ち込み品には感激です。
100年も前に盆栽がこんなに洗練されていたのです。感動!

九霞園の席。赤松の文人と蝦夷松の根連なり。
清潔感と優雅でゆとりのある美しさで溢れています。

佐竹義春公の五葉松の一席。

戦前の盆栽会において蝦夷松の収集家としての挿話が現代まで語り継がれるほどに有名な頼母木桂吉氏の一席。左は蝦夷松の根連なりの石付けと右は五葉松の懸崖。

2018年2月8日木曜日

国風盆栽展第一回

本日から第92回の国風盆栽展が開催されます。一世紀の長きに渡り戦中戦後の数年以外はずっーと途絶えることなく国風の文化を世に伝え続けてきました。
日本文化の特徴であるもののあわれや無常観、哀愁や情趣など、現代の日本人に通じる精神性がかたちづくられたのが、国風文化の時代といわれる平安の時代です。花鳥風月、雪月花など日本人特有の美意識の基礎も、この時代にかたちつくられた日本人独特の感性です。

昭和9年に開催された第一回の国風盆栽展の写真帳です。30年も前にオークションに出品されたのを落札したんですが、なんと10万円の高値でした。でも今となるといい資料にもなって、落札しておいてよかったです。先日ご紹介したのが第二回目のやつですから、この二冊から戦前の盆栽界の様子はかなり推測できる感じです。ちなみに、国風盆栽展写真帳の真ん中に全という文字が入っているのが、第一回という意味のようです。

現在のように日本盆栽協会という法人がありませんでしたから、編者発行人は現代盆栽界の恩人と言われる小林憲雄先生、発行所は先生が主催した叢會(くさむらかい)になっています。

上が会長・松平頼壽伯爵の席飾り。向かって左側の席の5点は、すべて伯爵夫人が自然採取して自ら培養したものであるとの解説があります。このことにより、安価な草木でも気軽に楽しむことが盆栽精神の真髄であると考えた会長夫妻の本意が率直に伝わってきます。下は副会長・酒井忠正伯爵の席飾り。

蝦夷松2鉢に石菖の三点飾り。現代の感覚でいうと石菖の位置が微妙ですが、強弱、高低のバランスなどは抜群です。

蝦夷松に白寒木瓜に草の三点飾り。蝦夷松のしゃれた模様が秀逸です。

蝦夷松の寄せ植え、現代から見ると素朴な作品ですが、自然で好感の持てる作品です。

第一回目の出品点数は約95点ほどですが、レベル的にはかなり高度な印象です。故にできるだけ頑張ってなるべく多くの作品をご紹介したいと思っています。どうぞよろしく。

2018年2月5日月曜日

水石の世界

水石の台座作りの名人・鈴木広二(広寿)さんと、国風の売店席でバカな世間話をしたのは昨年だったか一昨年だったか。

年と経るに従い、親しかった人たちとの別れも多くなるにしたがって、次第に慣れっこになってしまったようだ。たった数年前のできごとでも何故か昔の思い出話のように遥か遠くのことに思われて、まるで雲を掴むような頼りない記憶のかなたの出来事に感じられてしかたがありません。

これは確か一昨年、明治神宮の水石展示会の搬入の日に広二さんと話し込みながら製作を依頼した記憶があります。石の産地を訪ねると、おそらく九州地方の産だよ、との返事でした。産地よりも姿と大きさと味わいに惚れたもので、自分としてはかなり気に入っています。

裏側です。

完成して送ってくれた梱包の中に、逆さまの副台座がはいっているではありませんか。そして、小さなメモ用紙に、あまりにかわいいのでサービスで作りました、と走り書きされていました。

広二さんと私のお付き合いは直接ではあまり古くはなく、日本水石組合が正式に発足して同じ役員として活動するようになってからです。

しかし、なんとないほのぼのとした人柄と真面目さ、水石と台座作りにかける熱意は、話ぶりや外見の柔和な印象よりもかなり自分に厳しい人だと思われました。

メインの台座。

プレゼントしてくれた副台座にも「広」の落款が入っています。

ありがとう、さようなら、広ちゃん、もうちょっと長くつきあいたかったね。
もうあと2~3回でいいから上野で飲みたかったね。
そしてなによりも、もう広ちゃんに仕事を頼めないのが辛いねー!