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2019年1月3日木曜日

日本盆栽大観’(盆栽の歴史)・2

この記念帖には、当時の国風盆栽展帖と比べても、質量ともに遜色ない盆栽が掲載されています。もちろん流行や嗜好の変化から、現代では盆栽としての範疇には?のつくようなものも数点見られますが、ご紹介するようにほとんどは、盆栽の造形に対する美意識の極端に発達した現代のレベルにおいても、十分に通用する優良品ばかりです。

萩原章佑氏 かえで石付 樹高(1尺4寸) 白交趾長方古鉢 昭和13年3月撮影
解説には「古き時代を語る露なる根。このような楓石付の根の美しさを見慣れぬ外国人は、目を瞠って持久養作の根気に驚異するのである」とある。
この当時から、日本を訪れる外国人にとって、盆栽とはまことに珍しい異文化そのものであったようです。

逸見治朗氏 蝦夷松 樹高「2尺」 烏泥長方古鉢 昭和13年3月
解説に「千島の国後島古釜布・ふるかまっぷ」の最盛期の採取ものである。強豪双葉山を見るような力の満ちた木である」とある。その迫力を古今無双の大横綱に例えるとはおもしろいですね。

中野義定氏 蝦夷松 烏泥楕円古鉢 樹高(1尺7寸)昭和14年1月撮影
解説「北海道大雪山の産にて、千島八ッ房性に比すべきもの。大雪山の蝦夷松は堅き岩盤上の状の堆土に自生する関係上根張りのよきをその特徴とする」と、その後(戦後)の一大蝦夷松ブームを予感させる記述もあります。


中村憲吉氏 梅 樹高「2尺5寸」 茶末釉長方 昭和14年1月撮影
解説に「品種 鶯宿梅 八重 蕾は紅を帯び開けば微黄。梅樹の幹は堅硬鉄のごとしという詞があるが、この幹はさながらに鉄片を捩じり合わせた趣がある」とありますが、なんとも強烈な表現ですね、

増山幾松氏 五葉松 樹高「2尺7寸」 朱泥長方 昭和14年3月
解説「傾斜地に植わって一方に長く枝を伸ばせる巨松の姿。古人はこのような樹形を『半懸崖』と呼び慣わした」とある。推測するに、当時まだ、半懸崖という言葉が一般的な盆栽用語でなかったのかもしれません。
小林庄三郎氏 真柏 樹高「2尺1寸」 朱泥長方鉢 昭和13年2月撮影
解説に「新潟県糸魚川明星山の産である」とある。

それにしても、非の打ち所のない自然界の造形物。おそらく今では採取し尽されてしまっているのでしょうが、このあたりになるとすでに個人の所有物ではなくて、国の宝ですね。



2005年1月15日土曜日

国風展裏話2

この1月12日で国風展の応募は締め切られました
この締め切りがまた厳しいんです(当たり前のことですが)

こう言っては誤解されるかもしれませんが、まあ、世間話と思って聞いてください

私くらいの「古狸」の「顔」になりますと、同じ釜の飯を食ってる盆栽界のことなら
たいがいのことは融通がきくんです、けっこう強力なコネクション、持ってるんですよー!

いわゆる族議員ではないですが、顔パスとか揉み消しとか
常連さんといっていいでしょう
(自慢することじゃない! いけないことでしょ!)(ハイ、すみません、つい調子に乗りました)

しかし、国風展の締め切りに関しては、まったくダメ!
郵送の場合も当日必着でなくてはなりません
配達証明付、そう、これっきゃない

ですから扱い者はピリピリです
ギリギリの人は心配で、たいがい自分で上野池之端の日本盆栽協会の事務所まで足を運んでいます


第一回国風盆栽展写真帖より・吉村香風氏の展示品  左 真柏 右 蝦夷松 (於・昭和9年東京都立美術館)

さて、写真は大昔の第一回の国風展の展示品ですが
この出品者は世田谷の吉村香風園さんの先代さん

盆栽界ではそれと知られた名門中の名門
何せ大三菱の岩崎家お抱えの盆栽園なんです

申し上げたように、現在の国風展には盆栽業者(日本盆栽協同組合員)の出品は許可されませんが
草創期にあっては、愛好家の数も少ないため、業者も(数合わせのためにでしょう)このよう参加しています

いよいよ審査のための搬入1月23日と迫り
審査は翌24日、入選作品の写真撮影が25日となっています
この続編まだ続きそうです、お楽しみに

2005年1月9日日曜日

国風盆栽展舞台裏 1


第一回国風盆栽展写真帖より・国風盆栽会副会長・酒井忠正伯爵の小品盆栽棚飾り (於・昭和9年東京都立美術館)

新しい年を迎えるとともに一流盆栽展示会のシーズンを迎えます

現在、京都において小品盆栽の「雅風展」が開催されていますし、13日からは東京大丸の「日本盆栽作風展」
そしていよいよクライマックスは、2月9日からの上野公園の東京都美術館における「国風盆栽展」です

その国内最大の盆栽イベントである国風盆栽展には約250席の入選作品が展示公開されますが
搬入・審査・写真撮影と事前の下準備に3日間かかります

ところがその下準備は、本番の展示会開催の約2週間前に行われるので
審査を受けるために搬入されめでたく入選した盆栽は、その後に再び運搬されることになり
どんな遠方からでも東京上野へ2往復することになるわけです、北は北海道、南は九州・沖縄からですよ

たいへんな時間と費用をかけて日本中の名品の大移動が行われるわけで
その様子からも、さすが日本最大の展示会といわれるだけのことはあります

審査には約500点からの応募があり
入選は約250点ですから入選率は約50%くらいの厳しさ、まさに狭き門です

それだけに愛好家の盆栽を搬入する業者(日本盆栽協同組合員に限る)はみな必死で
第1日目の搬入日など雰囲気はピリピリです

次々と到着する盆栽を横目で見ながら、内心自分の搬入作品と比較しているんです
うひゃー、いい木が来たな、こりゃ負けたかな!
しめた、この程度なら、こっちの勝だ!

ところで、国風盆栽展といえども、盆栽愛好家や盆栽業者が盆栽文化の向上と普及を目的に
国風盆栽会を発足させた、昭和9年から戦後の高度成長期以前までは、大変な苦労の連続であったようです

まず、盆栽愛好家が現在と比べ物にならないくらい少ない
それは数十年前の国風盆栽展の写真帖を見れば一目瞭然です

愛好家の中に混じって数合わせの出品でしょう
盆栽業者の作品もかなりあるのです、つまり定員割れ

もちろん入選率が約50%の現在では業者(日本盆栽協同組合員)の応募は認められませんし
決め事の隙をついての、例えば家族の名前を使っての応募なども皆無です

その面でも、長い歴史を経て純粋に盆栽愛好家のための展示会として誇れるものに成長した、といえるでしょう

2004年9月11日土曜日

懐かしい本

20年ぶりに物置の大掃除を思い立ち
畳にして4畳ほどの小さな物置の中身をすべて引っ張り出してみました

家を建て直した20年前に、捨てるには惜しいし新しい家には収まりきれないもろもろを
そっくりそのままその年月だけしまっておいたような感じです

20年ぶりにあけるタイムカプセル
さぞかし懐かしいものや捨てるに忍びないものに遭遇するかと思いきや、意外や意外

捨てるに惜しいものやこの先とっておきたいもの、ほんの少々だったのです
まして必要なものときたら、まるっきり皆無の状態

子供の幼いころの図画や工作類
私の若いころのノートやスケッチブック、それくらいしか残すものはなかったのです

書籍類もほとんど捨てましたが、ふと目に付いたこの本
私がこの地に住みついて間もなく触れたものです、これはとっておくことにしました



昭和42年 「光芸社」発行 杉本佐七編

最近ふと身辺を見渡してみると
私が盆栽の道に踏み込んだ時期の確かな証のようなものが、極端に少ないことに気が付きました

当時からお付き合いしている親友と話し込んでも
何十年前のことはお互いの記憶の中に、それもかなりおぼろげにしか存在していないのです

こんなことに気が付いたのも「つれづれ草」を書くようになり
みなさんに佐野大助や今岡町直などの鉢作家の思い出話や解説をしていく過程で

確たる年代や人間関係を正確にお伝えする責務を感じるようになったからです
決して年のせいではありませんゾ!

この本は確かな資料としてとっておくことにしました
私が松戸市に移住したのが昭和41年、その翌年に購入したものです

ぱらっとめくってひろい読みしてみると、おもしろい記述がありました
ご紹介しましょう

「小鉢の収集」という題で明官俊彦氏の寄稿があり
その中の今岡町直の解説の項です

小平市で目下大いに焼いている。すでに三、四千枚もでまわっているだろう。
益子焼系統をつぐ作風で辰砂、青磁などのものが多い。
はじめは、ほとんど、手びねりのものだったが最近は角のものを作る。
中村是好さんと知り合い、鉢をつくるようになったといわれる。
10センチ×6センチで二千円から三百円まで。
(原文のまま)

おもしろいことにおおよその相場にも触れています
思い出してみると正確です

私は当時今岡氏の売店で、500円の手捻り鉢を数個買った確かな記憶があります
上等の辰砂釉の長方鉢が4000円でした!
若造には手が出なかった!!

2004年5月17日月曜日

柴崎(青閑)焼 2

新五郎は明治44年に浅草で生まれました
いまでも浅草は、江戸の名残を色濃く残した下町ですね

まして戦前や戦後の早い時期はなおさらで、「ちんや横丁」の夜店が盛り
そこはさながら、豆盆栽界同好家たちの一種のサロンのような場所であったようです

小品盆栽の父とも称される「杉本佐七」、その弟子の俳優「中村是好」、小鉢の収集と鑑定で有名な「中島通泉」
その他有名無名の盆栽愛好家が夜毎に集い、盆栽談義に花を咲かせて、かの松平伯爵ご夫妻さえも度々訪れたと聞きます

その中において柴崎新五郎の小鉢の収集鑑定家としての
信望と名声は確たるものでした

新五郎はその鋭い審美眼と、多くの名品の収集から得られた豊かな経験を基にし
自らも小鉢の製作に挑戦したのです

作風はお洒落で小粋な江戸趣味とも言うべき趣が濃く
手捻りと彫刻を多用しています

また、それら豆鉢の「仕度」にもその趣味性は遺憾なく発揮され
箱や命名、鉢単独の飾りにも様々な工夫を凝らしています


柴崎青閑作 銘「富喜」

石台と呼ばれる形の豆鉢です
牡丹の花を紋章のように中央にあしらっています

後の屏風は桐で、折りたたみ式になっています
趣味人・青閑ならではの仕掛けですね

牡丹の花は富貴草とも呼ばれ、富と気品の象徴です
その富貴を「富喜」ともじったのも、下町っ子・新五郎独特の庶民感覚だと理解できます


紫檀製の箱に右の一式が収まるように作られています



また、この紫檀製の箱の作りが見事
四面すべてが一枚板から作られており、木目が通っています

伝統的な江戸指物師の作品
こだわっていますね


手さばきのいい仕事であることが窺えます
しかし、技巧は巧みです、彼の本業は彫金の金型やであったそうです


石台型の鉢は難しい、側面から見てもバランスがいいですね
側面にも縦縞の文様が施され、細部にも神経が行き届いています


鉢裏の様子も小洒落ています、落款は「新」の丸落款です

魅力溢れた柴崎焼の魅力を堪能できましたか
これからも折に触れてご紹介しましょう

2003年11月6日木曜日

盆栽の歴史2 

盆栽鉢の水穴

日本における盆栽の起源は、鎌倉時代に描かれた絵巻物に描かた資料より
平安時代まで溯ることができます
また室町時代の狩野派の屏風絵にもよく盆栽の姿をいかけます

江戸時代になると、浮世絵に町の女性とともに盆栽や盆栽売りの商人も登場し
庶民の間でいかに盆栽が楽しまれていたかよくわかります
盆栽の形も現代の盆栽にかなり近い雰囲気です

現代でも意外なところに資料(?)があるんですよ
「サザエさん」の漫画の中によく見かけます(な~んだ、って言わないで)
終戦直後の昭和20年代、まだ日本が敗戦の痛手から完全に抜け出せないでいる頃ですら
「サザエさん」のお父さんは庭に棚を作って、盆栽に水をやっています

さて、盆栽の歴史はもっと古いはずだとは思っても
確たる資料がないので、日本においては、そこから先は推測するほかはありません

ところが、ありがたいことに、お隣の中国では
近年、盆栽鉢の起源と思われる植栽鉢が描かれた資料が出土し
新石器時代(7000年前)から盆栽が楽しまれていたことが裏づけられています

もちろんその頃では、今のように庶民の趣味として普及していたなんていうことはありませんが
時の権力者によって、盆栽の原形といえる「盆器に草花を植える」ことが行われていたんです

すごい話ですね
7000年前の新石器時代ですよ
信じられないくらいです

その盆栽が日本に伝わったのは、案外古いことのように考えられます
(聖徳太子の時代よりはるか以前)

ところでみなさんはどう思いますか?
唐の時代に、宮廷で盆景を捧げ持つ侍女の壁画は見たことがありますが
あの皿状の盆器には水穴が開いていたのでしょうかね
横道へそれてそればっかり気になっているんです

つづく

2003年11月4日火曜日

盆栽と盆栽鉢の歴史1

古渡烏泥長方盆(こわたりうでいちょうほうぼん)

先日、掲示板で盆栽鉢の正面の話が話題になりました
その際に「盆栽鉢は香炉より品格が落ちる」という意味のカキコミがありました

これは黙って見過ごすことはできません

しからば(調子が硬いね)盆栽とは何ぞや、少しくらいは語らねばなりません

盆栽人の名誉のために

そのためには、私達は盆栽や盆栽鉢の歴史を知っておきましょう

しかし、盆栽や盆栽鉢のルーツに辿りつくためには
何千年もの歴史、美術史を遡ることが求められるようです

”いいんじゃん、楽しく盆栽やってれば”

みなさんが口を揃えてそう言ってくれれば助かるんですね
考えてだけで私も疲れが出てくるんです

ですがこの際、語らねばならないのです

文献によると、盆栽鉢の起源と思われる植栽鉢が
中国の新石器時代(7000年前)の出土品に描かれているそうです

そして隋や唐の時代(7世紀~10世紀頃)には
円形や連弁形や長方形の盆栽鉢が存在したことは、資料により明白な事実です

みなさん、自信を持ってください
盆栽や盆栽鉢は何千年前の人々にとっても愛好されていたんですよ

↑の写真のような「古渡り鉢」は、「野香炉」つまり、お墓の線香立てであったものを
盆栽鉢に転用したものだと信じている人たちがいます

しかし、この説はいまや否定されされつつあります

難しいことはこのあたりにしましょう

とにかく、みなさんは、何千年の歴史を持った趣味を毎日楽しんでいるのですよ
これは事実です

2003年10月12日日曜日

今岡町直の記憶

今を去ること30年以上前、日本小品盆栽協会東京支部の定例の集いが
東京は洗足池の風致会館で開かれていました

この項でなんどもお話したように、そのリーダーは
いま思うと戦後のミニ盆栽史の残る名愛好家ばかり
中村是好・明官俊彦・佐野大助・田代与志・岡田晃・・・・・・・とにかく豪華キャスト

そして、当時の売れっ子小鉢作家今岡町直氏も参加していたのです
端正な顔立ちの静かなインテリ風の人でした



今岡氏は自作の豆鉢を持参して販売していて
価格は500円から高いもので5000円くらいだった記憶があります

青磁に辰砂釉を二度がけした最高の出来上がりのものでも5000円でしたから
今思えば安い買い物です
しかし思い切って買えなかったですね、若僧には
私はそれでも、500円から1000円くらいの豆鉢を数個買った記憶があります

町直氏の作品は東京の愛好家を中心に根強い人気があり
程よく制御の利いた作風はミニ盆栽の引き立て役として 貴重な存在です

また、その優れた色彩感覚ゆえ、使い込むほどに輝きを増してきます
胎土の堅ろうさと焼き成りの精度は立派なものがあります

2003年7月12日土曜日

戦前の盆栽樹種2

同じく「第15回国風盆栽展記念帖」より国風盆栽会 副会長 伯爵 酒井忠正氏の出品作品の二席です
昭和16年11月27日~30日に上野公園東京府美術館で開催


向かって右より

上段
遠山石(とおやまいし)


中段
小蘗(しょうびゃく)
落霜紅(うめもどき)

下段
真柏(しんぱく)
黄金羊歯(こがねしだ)

この席も一般的に知られた樹種です


向かって右より

上段

杜松(としょう)

中段
紅山査子(べにさんざし)
縮緬葛(ちりめんかつら)
寒蕨(かんわらび)

下段
宮様楓(みやさまかえで)
五葉松(ごようまつ)

この席も一般的に知られた樹種ですが
山査子(さんざし)を漢字で表記しています

宮様楓は戦前から盆栽として仕立てられていたんですね
もっとも名前の由来は、どこかの宮家の庭に植わっていたことから
そう呼ばれるよになったと云われています

縮緬葛(ちりめんかつら)のかつらは今では桂の字を使いますね
ここが一番印象に残りました

ということで、半世紀以上昔の戦前と現代の盆栽樹種はほとんど同じでした
(安心したような物足りないような複雑な気持ちですね)

この二項の検証で、現代の盆栽界で愛培されているほとんどの樹種が
戦前にはすでに一般的に愛好されていたがわかりました

それと、植物名がかなり難しい漢字で表記されていて
今ではほとんど読めないような漢字が普通に使われていたんです

2003年7月11日金曜日

戦前の盆栽樹種1

「第15回国風盆栽展記念帖」より
国風盆栽会 会長 伯爵 松平頼壽氏の出品作品、棚飾り二席
昭和16年11月27日~30日に上野公園東京府美術館で行われたものです

この資料を参考にして
戦前にはどのような樹種が盆栽として仕立てられていたのか
調べてみましょう


向かって右より

上段
欅(けやき)
霊壁石(れいへきせき・中国産の鑑賞石)
五葉松(ごようまつ)
しもつけ

中段
梅花黄連(ばいかおうれん)
姫林檎(ひめりんご)
小蘗(しょうびゃく)
下段

山毛欅(ぶな)
落霜紅(うめもどき)
藪柑子(やぶこうじ・草物)

この中で中段の梅花黄連はどんな植物かわかりません
あとのものは現在でも盆栽として愛好されているおなじみの樹種です

現在の国風展の記念帖と違っているところは植物名がほとんど漢字です
私も藪柑子(やぶこうじ)は読めずに辞書を引きました


向かって右より

上段
常盤薺(ときわなずな)
小性梅擬(こしょううめもどき)
中段

錦松(にしきまつ)
瀧石(たきいし)
下段

黄金羊歯(こがねしだ)
杜松(としょう)

この席もすべて現在も培養されているおなじみの樹種です

ここでも薺(なずな)が読めずに分厚い漢和辞典のお世話になりました
薺なんて字を読めますか?

それと現在では小性梅(こしょうばい)と呼ばれているのに
昔は小性梅擬(こしょううめもどき)と呼ばれていますね

私は小姓梅と書いていましたがこうみると小性梅が正解のようです
また梅もどきを「落霜紅」「梅擬」と二通りの文字を使っています
おもしろいですね

こうしてみると、半世紀以上前の戦前も現在も盆栽樹種はあまり変っていないようです

この項つづく

2003年7月9日水曜日

もう一人の伯爵

昨日紹介した松平頼壽伯爵の他にもミニ盆栽の愛好家の伯爵がいました酒井忠正氏です

同じく「第16回国風盆栽展記念帖」より
国風盆栽会 副会長 伯爵 酒井忠正氏の出品作品の一部です
昭和17年3月5日~7日に上野公園東京府美術館で開催


(画像を大きくしてみました、よく見えるでしょ)

上段 五葉松・小蘗(しょうびゃく・難しい字ですね)
中段 楓・紅梅
下段 錦松・杜松・ソロ

調べてみると松平伯爵は貴族院の議長、酒井伯爵が副議長をやっています
戦前はある面いい時代だったんですね

伯爵っていえば元大名のお殿様です
その方たちが手ずから野山で採取し愛培したミニ盆栽を
国風盆栽展に飾っていたんですよ

ゆった~りとした時間の流れと文化を感じますね
今じゃ考えられないー!

2003年7月8日火曜日

伯爵のミニ盆栽

「第16回国風盆栽展記念帖」より
国風盆栽会 会長 伯爵 松平頼壽氏の出品作品の一部
昭和17年3月5日~7日に上野公園東京府美術館で行われたものです



上段 落霜紅(うめもどき)
中段 迎春花(げいしゅんか・黄梅のこと)
下段 野梅(やばい)

太平洋戦争のしょっぱなッ真珠案攻撃から半年経たない
日本軍が破竹の進撃をしているころですね
元気よかったでしょうね、日本中が

卓台(しょくだい)は斑竹(はんちく)という斑点のある竹を材料にしたかわいらしい飾り棚です
梅もどきのことを落霜紅、黄梅のことを迎春花と表示しています
なんとも昔風、でも日本語っていいなーと思えますね

松平伯爵がご夫妻でミニ盆栽をこよなく愛されことは有名です
ご夫妻でですよ!
羨ましがってるご主人さまもいるでしょうね(せめて水やり協力が欲しいなんて)

松平家のミニ盆栽の特徴は
小さな鉢でていねいに長く持ち込まれた
かわいらしいしゃれた感じの木が多かった
旅行や散策の折に野山で採取したものが多かった
ようです

重量感や構図を重視する現代の盆栽を見慣れてる我々には
やや迫力不足の感はあるけれど
ともかく古さや素朴さがそれを補ってまことに趣が深いですね
実物は写真より魅力的です(カラーならよくわかる)

この松平公爵夫妻の愛したミニ盆栽の伝統は現代にも受け継がれています

過去の関連ページへどうぞ

 

2003年6月26日木曜日

忘れえぬ人々4(岸総理大臣のお気に入り盆栽屋)

昔は盆栽を愛好する大物政治家がたくさんいました
吉田茂総理大臣はあまりにも有名です

岸信介総理大臣もそれと知られた盆栽愛好家で
日本盆栽協会の会長も長く勤められました
そして私邸の庭には盆栽棚があり、たくさんの盆栽が培養されていました

その岸信介総理大臣の大のお気に入りの盆栽屋はMさんという人で
私達が若造のころ、すでにかなりの年配の爺さんでした

盆栽道具を包んだ色のあせた唐草模様の風呂敷包みを小脇にして
いつもよれよれの作業服を着て、風貌もさえないし無口でした

どうみても大物政治家お気に入りの盆栽屋にはみえません
Mさん人気の秘密は何だったのでしょうか?

或る夜、突然台風がやってきました
盆栽にとって風の被害は一番恐ろしい

一夜が明けて岸邸は大騒ぎ
なんと、庭中の盆栽という盆栽がすべて消えていました

てっきり盗難にあったと思った執事さんや女中さんたちは
警察に通報しようとしました

そのときMさんがのっそりと庭へ現れたではありませんか
「たいへんだよ、Mさん、盆栽がみんな盗まれちゃッたよ!」
居合わせたみなさんは口々にうったえました

ところがMさん少しも騒がず
広い庭の隅に立つ物置用の建物を指差すではありませんか

女中さんたちが戸を開けてみると
盗まれたと思い込んでいた盆栽たちがどっさり詰め込まれていました

Mさんが、急速な台風の襲来から盆栽を守るため
夜中に一人で非難させたのです
さすがMさん、またもや人気はうなぎのぼりです!

そのころにはこの屋のあるじ、岸総理大臣もお出ましになり
一部始終をご覧にになっていました

総出で盆栽を棚に戻し終わると、たちまちこの屋のあるじがいいました
「おいッ、執事クン、Mさんにおこずかいをやりたまえッ!」

Mさんの人気の秘密は、この徹底的な奉仕の精神、それと不言実行にあったのです
弟の佐藤栄作総理大臣の盆栽もMさんがしっかりと守っていました

以上折り紙つきの実話です

2003年6月23日月曜日

はなたれ小僧



五十六十は鼻たれ小僧
七十八十は花盛り
九十でお迎え来たならば
百まで待てと追い返せ

と書いてあります
是好さんが好んで色紙に書いた文句です

いずれ俳諧とか川柳とか落語とか江戸文化に関係ある方面からの引用でしょう

ところで是好さんは巧妙にアレンジしているような気がしています
数字の部分です

五十六十から始るのはどうも不自然な気がします
四十五十(しじゅうごじゅう)から始る方が語呂もいいし、昔の人の平均寿命(五十歳)にも符合します

四十五十は鼻たれ小僧
六十七十は花盛り
八十でお迎え来たならば
百まで待てと追い返せ

是好さんは年勘定が現代の平均寿命に合うように
10歳ずつ年をずらせていると思いますが、皆さんはどう思いますか?

2003年6月21日土曜日

忘れえぬ人々3

鉢作家の佐野大助さんも忘れられない人です
私が過去につれづれ草でお話しています

佐野大助のページへ

大助鉢の解説のページへ


佐野大助さんの作品では「東海道五十三次」シリーズが有名ですが
私も8年ほど前に、そっくり揃っているいるのを手に入れたことがあります
絵は安藤広重の「東海道五十三次」の写しです、いい出来でした

そのときにおもしろいことがありました
届けてもらって床の間に並べてみると2個足りないのです
53個しかないのです

「東海道五十三次」は江戸と京都の間の宿場駅の数ですから
作品として表す場合は55個になります

世話をしてくれたその旧い友達は「おれ知らなかったよ」とビックリしていました
案外そんなものかもしれませんね

絵付師佐野大助の名は、その作品とともに小品盆栽界に長く伝えられるでしょう

2003年6月19日木曜日

忘れえぬ人々2(中村是好さん)

戦前からの俳優でミニ盆栽愛好家の中村是好さんは
「昭和の花咲じじい」とも呼ばれました

晩年にはよく松戸に見えて、例の軽妙な話し振りは
さすがに年季の入った芸に裏打ちされたものだと思いました

住まいのあった東京葛飾の堀切から向島、浅草あたりの
ミニ盆栽愛好家の人気者で
あちらこちらの愛好会に呼ばれ、終生退屈している暇はありませんでした



「盆栽は 作るも楽し 見るもよし 侘び寂びありて 心常に豊かなり」
まさに是好さんの本音だと思います

是好さんはこのように、俳句や和歌、また盆栽を讃えることばに
洒脱な絵を添えた色紙をたくさん書き残しました

文字はすべてマッチの軸で書きました、署名もです
絵は二三本の小さめの筆を使って、瞬く間に書き上げます

行列を作って待っていても少しも慌てません
独り言をつぶやき頭をふりふり調子をとって、それは早いものでした

晩年の70歳を越して一回り以上年下の女性と再婚されたことを
私達に冷かされても
「そりゃーあんた、心配ご無用、私は現役ですゾ」といたずらっぽく笑ってました

是好さんがミニ盆栽界に残した足跡は
計り知れない大きなものでした

ちなみのこの色紙の裏に1977.6.22とあります
歳月が過ぎ去るのはじつに矢の如しですね

2003年6月17日火曜日

盆栽屋志望の2

盆栽屋志望の青年から電話相談を受けたことがきっかけで
自分の遠い昔を思い出しました

やはり私もあの青年と同じく盆栽屋志望の”迷える子羊”だったのです

20歳をちょっと過ぎたころ松戸に移り住んだ私は、たちまち盆栽の魅力の虜になりました
動機は、そのころはまだ色濃く残っていた松戸の野山の自然に接したからでしょう

近所の野山を歩き回ったり、時には東京の縁日に出かけ盆栽をあさったりの毎日でした
そのころの私は、盆栽の専門店があることを知らず、盆栽は縁日でのみ売っているものと思っていました(のんきと無知))

そんなことをしているうちに、盆栽を通じいろいろな友人や先輩もでき(いくつもの幸運に恵まれました)
ともかく盆栽屋の道を歩むことになったのですが、最初はわからないことだらけでした

盆栽界の環境という面から考えると、私のころは日本が高度成長期の真っ只中で
盆栽人口も飛躍的に伸び、盆栽ブームとさえいわれる時代でした

そんな恵まれた時代背景のおかげで
私のように、市内はおろか盆栽業界にも地縁血縁のない世間知らずの若造でも
何とか盆栽屋としてやってこられたともいえます

もちろん現在の方が盆栽趣味は社会に浸透し、日本の伝統文化として世界中に認知されており
国風展をはじめ小品盆栽の雅風展などの入場者数は増え続けています

ところが日本社会の経済状態が悪すぎます
それと、盆栽愛好家のレベルも上がり
プロの盆栽屋は非常に高度なものを求められている現状です

生半可な技術や鑑識眼は通用しません
この数十年で盆栽界は飛躍的に進歩しまた成熟しました

私達の年代では、独学でたたきあげの盆栽屋がけっこういます

ところが、若い世代で盆栽屋志望で修行中の若者のほとんどが二世達です
そのことは、この業界に縁を持たない若者がやっていくには
情熱だけではとても通用しない世界になっているためだと思います

現在の政治家やタレントにも例えられるでしょう
二世三世の国会議員の多いこと!

どんな職業でもその志願者の層は時代を反映してしているといえますね

付け加えますと、私はあの青年から相談されたときに、はじめは趣味としてやってみたらと暗に勧めましたが、それは無駄でした

2002年11月11日月曜日

吉田茂のけやき



11月4日に松戸さつき会の見学旅行のおり
栃木県鹿沼市の花木センターで開催されている
日本盆栽逸品展を見学しました

特別招待出品としてあの有名な「吉田茂のけやき」が飾られていました

ご存知の方もいると思いますが
日本の歴代総理大臣のなかでも、吉田茂は盆栽好きで有名です

私個人としても何十年ぶりのご対面です

懐かしい!

みなさんは実物に接したことありますか?

2002年6月29日土曜日

佐野大助さんの話

鉢作家、佐野大助さんの思い出話です
私が盆栽を趣味で始めて数年の頃
浅草のある料理屋の2階でやっていた
小品盆栽の交換会に行ったときのことです

交換会は初めてです
けっこう名のある愛好家や業者も見えていました
そこへ私は若造のくせに、数点の小品を持って出かけました

初顔の私に、大助さんは
「おい、あんちゃん、どっから来たんだい?」と
あの大きな目玉でにらみながら聞くのです
何せあの顔です、私はびびりながらも無視してしまったのです

セリが始まって私の番がきました
セリ台の大助さん
私の品にとほうもない安い発句を入れました

そして「おい、あんちゃん、売っとけ!」
とにらむのです、例の目玉で、すごい迫力!

さっきの無視がいけなかったのだ、と気が付いた時はもう遅かりし
先輩に対する私の無視の態度にカチンときて
この若造、ちょっといたぶってやろうと思ったのでしょう

それに品物もけっこう魅力的だったのでしょう
それにしても安すぎる
しかし、その迫力を対抗するには、貫禄が違いすぎる!

今まさにあえなく陥落しようとしたその刹那
孤立無援の私に、救いの手が差しのべられたのです
足立区千住の飯島さんという業者です

宮本君、それじゃあ売れないだろ、佐野さんよ、ヤマにしてやんなよ」
たった一度だけ盆栽を見に訪れた私を、飯島さんは覚えていてくれたのです

こうして私は救われたのでした、ああ怖かった!
これが大助さんとのはじめての出会いです

私の交換会デビュー大助さんとのやりとりがあったために
よけい印象深く、今でもはっきりと思い出せます

2001年3月4日日曜日

国風盆栽展の歴史

国風盆栽展(全)写真帖(初回)


国風盆栽展覧会は昭和年三月十七日より廿三日迄
上野公園東京府美術館に於て開催す。会長は松平頼壽伯、副会長は酒井忠正伯
美術館に於ける最初の展覧会なり出品は予め詮衡(せんこうと読む)委員により撰ばれ
陳列の後更に審議決定せるものにて其席数九十六席。(旧漢字は改めました、文体そのまま)

と、写真の下に説明がかいてあります
私もこの美術館は知っていますが、自動車の型の古いこと、クラッシックカー

それまでは庭園や大きな料亭の座敷などで盆栽の陳列をしていたんですね

国風展はこれを初回にして今年で74回目を迎えたわけです
盆栽界の中には全74回写真帖を揃えている方もいるはずです

10数年前に、私もと思ってこの初回本を買って(なんと10万円出したのだ)出発点にしたつもりが
一桁分がまず見つからない、やっとあったとしても高くて買いきれないのです

30回台になるとけっこう目にしますので揃えてありますが、途中で挫折です
そんな訳で初回本がポツントあってその後は30回台までありません

ときどきだして見るうちにフト気がつきました
この本の表紙第一回とか、初回とか書いてはありません

と記してあるだけです、はて
昭和九年といえば長い長い戦争の時代に突入する前の軍国主義の盛んな時代です

きっと先人達は自分達の愛好する盆栽を
世の中にメジャーな趣味として啓蒙するために
先の見通しはともかくとして
蛮勇を持ってもって開催したのだろうと想像しています

まさか悲惨な戦争を乗り越えて今日まで
これほどの歴史を重ねることの確信は持てなかったでしょう

とにかく貴重な資料です
 
上が会長の松平頼壽伯爵の小品盆栽です
三つの棚に真柏、杜松、五葉松、木瓜、かいどう、岩柳など
五葉松(大正十二年浅間山押出自栽)
黄楊木(同十五年四月十国峠自栽)
などの説明があります
松平候は奥様と二人で小品盆栽を愛好し
山采りをされたと聞きます

下は副会長酒井忠正伯爵の小品盆栽飾り
やはり三つの棚に杉、真柏、けやき、桜草、寒椿、姫いたびなど

二席とも素朴な感じですね

埼玉 松谷乙楠氏 という方の席で左から真柏、寒木瓜石付、捩幹榴です
三点飾りにしては大きさの調和が取れていないように感じますが、素朴で気どらないのが面白く感じられます

真柏(高二尺二寸)とありますから大物ですね、現代ではこれだけで一席です、面白いですね
 
この席は三人で一席です、左から富田仁生氏垂糸かいどう
関口仙太郎氏、杉、斉田泰正氏、五葉松となっています

ちなみに斉田氏東京巣鴨芳樹園という戦前の名園のご長男で、私はあってその弟さんの斉田展司芳松園さん
親しくしていました。展司さん明治40年生まれでしたから(なぜ覚えているかといえば私も同じ未年だから)たっしゃでいれば
93歳ですが、先年亡くなられました

ともかく皆さん、どんな印象を持ちましたか?
て大事ですね

の盆栽と現代の盆栽と、もの飾り方もちょっと印象が違うと思いませんか?
そのことについては、いずれまたお話しましょう