2001年3月23日金曜日

山採り真柏

現在の正面図

真柏を手に入れました、懇意な愛好家が愛培していたものです
この真柏は、松戸の土地に、もうかれこれ30年住んで(?)います
そもそもは私の年上の友人で、四国の祖谷地方出身の郵便局長が
はるか昔に故郷で山取りしたものを、松戸へ出てくるときにいっしょに連れてきたのです
生まれは四国の山の中ということになります

関東の松戸という新開地での慣れない暮らしにもよく耐え
その局長の手で大事に育てられていたのですが
およそ15年位前に、私が無理ムリお願いして譲り受けました

欲しいときは商売のことなど頭から消し飛んで、欲得ぬきで欲しくなってしまい
しばらくは手に入れた感激でウキウキです

しかしその後がいけません
盆栽業者の悪い癖です
子供と同じで、人の持っているものをやたらに欲しがるのに
いざ自分のものになると一時あれこれと眺めたりいじくったりすると
こんどは売ることを考えてしまうのです
商売だから当たり前といえばそれまでですが・・・

その後、この真柏はごく近所に住む愛好家Mさんのところに住むようになりました

新正面予定

最近また例の悪い癖が出て
この真柏が欲しくなってきました
というのも、持ち主のMさんが15年間も正面を決めかねて現在に到っていたからでした

何回も鉢合わせを試みたのですが、Mさんの感性にピッタリこなかったのでしょう
Mさんのお宅へ行くたびにあれこれ観察して
新しい正面を見つけ出した感じがした私が
Mさんに構想を話しても、やはり気に食わないようです

その結果「じゃあ俺にゆずってよ、作り直してみるから」
「それじゃあ、やってみろ」
という訳で私のものになったのです

現在あちこちと角度をかえて観察の最中です
私はここが正面だと予定していますがみなさんはどう見ますか?
とにかくもう少し構想を練ってからと思っています

余談
今までの真柏の持ち主のMさんは、当時ある大手会社の重役でして、私よりひと回り年上の方です
重役といっても普段は肩の力を抜いた人で
たまにふら~とやって来て 「お~す、かあちゃん元気か」
なんてぐあいです

私も、現在に到るまでの長いお付き合いの中で
気楽に、しかもいろいろと勉強もさせていただきました
人とのお付き合いって貴重ですね

私はMさんをお客様という感じでなく人生の大先輩として接してきました
私達のような特殊な業界に長く住んだ人間は、盆栽しか知らないのです
ですから、社会の仕組みや常識を教えてくれるいろいろな人達とお付き合いしないと
変に凝り固まってしまうおそれがありますから

Mさんは人柄同様、肩のこらない風流な盆栽が好きです
庭には小品やら石付きやら、シャリを削った梅、ひん曲げた赤松などが
愛培されています

どれもそんなにお金のかかったものではありません
下は数百円から数千円、高いものでも数万円止まりの素材から
すべて自分で持ち込んだ自作盆栽です

このMさんの盆栽の特徴は、まず鉢をやや小さ目に選定すること
それと水や肥料分を控えめにして培養することにあります
庭にある盆栽達には肥満児はいません
みな細身の華奢な感じです

しかしみなそれぞれに個性豊かな樹形で、古さを感じさせるものばかり
Mさんは私の大好きな愛好家の一人です

2001年3月9日金曜日

陶芸家の鉢

青磁貫入丸型樹盆 羽二生隆作 直径33cm
 


羽二生隆氏は私の住む千葉県の松戸市の隣,柏市在住の陶芸家です
私は直接の面識はありませんが、私の近くの盆栽愛好者の方が焼き物が好きで
昔から羽二生氏のところへ出入りし、その作品を幾つか所蔵しています
その方とも私はかなり親しい間柄なので、以前からこの鉢を譲ってもらいたいとお願いしていました
この鉢は、20数年前にその方が所有していた東福寺の型を、特別に写してもらったと聞いています
たしかにその方のところに同型の東福寺があって、私が譲り受けた記憶があります
もう少し小さかったようなきがします、それに釉薬は織部でしたし足の形も違いました

ところでこの形のよさは何ともいえません
適度に使い込んで時代ものって青磁の色合いに深みがあります
更に、さすが陶芸家の作品と感心するのは、鉢底の様子です
たっぷりと厚めにかかった青磁の釉薬がきっちりと足からはみ出さずに止まっています
たいしたものです
今では羽二生氏は鉢を焼かないと聞いています
それにしても氏の焼いた盆栽用の鉢では、最高の傑作です
毎日床の間に飾って眺めています
 

2001年3月7日水曜日

大助鉢の傑作


瑠璃隅切り金絵付け長方鉢
(るり・すみきり・きんえつけ・ちょうほうばち)
佐野大助作
13cm×10.6cm×5cm

心山と大助の合作鉢です
大助は大正8年生まれといいます
この鉢はおそらく昭和40年代の作でしょう

白地に山水、風花鳥月、人物等の五彩絵や赤絵が多い大助鉢としては
瑠璃色の地に金で蝶と蔦をデザイン画ふうに描いたものは珍しい
四面に同じ図柄が描かれています
生地は半磁器でしっかりとできていて、形、大きさからいって
実用性にも優れている
瑠璃の色が抜群の発色であり
絵も充分に余白をとって秀逸のできです

どの分野でも作家とは悲しい存在らしく
正直、存命中はその作品の評価価値は上がらないことが多く
大助鉢もその健康が危ぶまれた頃から
徐々にその値が上がり始めたました
先月の末に亡くなったといいますから
これからも値を上げていきそうな気配です

まして佐野大助さんは個性の強い人で
自分で作り、自分で販売していたためからか
今までその作品自体の評価のわり
取引価格が安かったようです

かなり多作で、世間に出回ってはいますが
心山と合作のものに傑作が多く
逸品はこれを機会に再評価されると思います

この鉢はさる愛好家にお願いして
出品して頂きました

2001年3月4日日曜日

国風盆栽展の歴史

国風盆栽展(全)写真帖(初回)


国風盆栽展覧会は昭和年三月十七日より廿三日迄
上野公園東京府美術館に於て開催す。会長は松平頼壽伯、副会長は酒井忠正伯
美術館に於ける最初の展覧会なり出品は予め詮衡(せんこうと読む)委員により撰ばれ
陳列の後更に審議決定せるものにて其席数九十六席。(旧漢字は改めました、文体そのまま)

と、写真の下に説明がかいてあります
私もこの美術館は知っていますが、自動車の型の古いこと、クラッシックカー

それまでは庭園や大きな料亭の座敷などで盆栽の陳列をしていたんですね

国風展はこれを初回にして今年で74回目を迎えたわけです
盆栽界の中には全74回写真帖を揃えている方もいるはずです

10数年前に、私もと思ってこの初回本を買って(なんと10万円出したのだ)出発点にしたつもりが
一桁分がまず見つからない、やっとあったとしても高くて買いきれないのです

30回台になるとけっこう目にしますので揃えてありますが、途中で挫折です
そんな訳で初回本がポツントあってその後は30回台までありません

ときどきだして見るうちにフト気がつきました
この本の表紙第一回とか、初回とか書いてはありません

と記してあるだけです、はて
昭和九年といえば長い長い戦争の時代に突入する前の軍国主義の盛んな時代です

きっと先人達は自分達の愛好する盆栽を
世の中にメジャーな趣味として啓蒙するために
先の見通しはともかくとして
蛮勇を持ってもって開催したのだろうと想像しています

まさか悲惨な戦争を乗り越えて今日まで
これほどの歴史を重ねることの確信は持てなかったでしょう

とにかく貴重な資料です
 
上が会長の松平頼壽伯爵の小品盆栽です
三つの棚に真柏、杜松、五葉松、木瓜、かいどう、岩柳など
五葉松(大正十二年浅間山押出自栽)
黄楊木(同十五年四月十国峠自栽)
などの説明があります
松平候は奥様と二人で小品盆栽を愛好し
山采りをされたと聞きます

下は副会長酒井忠正伯爵の小品盆栽飾り
やはり三つの棚に杉、真柏、けやき、桜草、寒椿、姫いたびなど

二席とも素朴な感じですね

埼玉 松谷乙楠氏 という方の席で左から真柏、寒木瓜石付、捩幹榴です
三点飾りにしては大きさの調和が取れていないように感じますが、素朴で気どらないのが面白く感じられます

真柏(高二尺二寸)とありますから大物ですね、現代ではこれだけで一席です、面白いですね
 
この席は三人で一席です、左から富田仁生氏垂糸かいどう
関口仙太郎氏、杉、斉田泰正氏、五葉松となっています

ちなみに斉田氏東京巣鴨芳樹園という戦前の名園のご長男で、私はあってその弟さんの斉田展司芳松園さん
親しくしていました。展司さん明治40年生まれでしたから(なぜ覚えているかといえば私も同じ未年だから)たっしゃでいれば
93歳ですが、先年亡くなられました

ともかく皆さん、どんな印象を持ちましたか?
て大事ですね

の盆栽と現代の盆栽と、もの飾り方もちょっと印象が違うと思いませんか?
そのことについては、いずれまたお話しましょう

2001年3月1日木曜日

水石の魅力


加茂川産 茅舎石(くずやいし) 銘 夕庵(せきあん)
16.0x11.0x11.2cm

5年くらい前に手に入れたもので時代もよく、うぶ石「加工していない)なので気に入っています
手に入れてから見つけもかえ、台座(紫檀も新調しました。大きさも手ごろですね。
ちなみに、茅舎というのはかやぶき屋根の家です。


根尾谷産 菊花石 銘 旭光
5.5x3.8x4.8cm

絶海の孤島に旭が昇る景色です
手に入れてから台座を新調して 
銘も私が付けました。ちっちゃくって 
かわいいでしょ。
付け加えますが、けっしてくつけたものじゃないですよ。