2005年7月30日土曜日

根卓(ねじょく)

盆栽界では天然の樹木の根の姿に彫り込んだ卓台(しょくだい)をい根卓(ねじょく)と呼びます
朽ちた天然の樹木の根をさらに姿よく削り込み、漆で仕上げます

最近、100年は経っていると思われる支那製の根卓が手に入りましたので、ご紹介します
すごいものですよ


箱入りです


天然の孟宗竹の根を模しています
素材は黄楊です、根卓には黄楊(つげ)が最高といわれています

実際に、樹齢数百年の黄楊の朽ちた根を素材にしていることは
この作品を検証してみるとよく理解できます

おそらく明治期に中国から渡来したものでしょう
色艶がすばらしい、鼈甲色(べっこう)色をしています

間口43×奥行40×高さ14cm


テンバより
複雑な切れ込みの姿からして、実際に黄楊の根の素材の特徴を活かし彫り込んだものと考えられます


別角度より
孟宗竹の根を模した刃物の技は驚嘆に値します


裏側より
100年からの作品であっても破損部分がありません
よほど大切にされてきたのでしょう


拡大図
根を模した写実力と技の冴えにはただただ感心するばかりです

テンバは縁取りされています
道具としての作りの丁寧さにも配慮がなされています


朽ち果てて破れた根のようす


同じく拡大図


同じく拡大図


根の太細がよく表現されていますね

ご覧になりましたか
このような高級な根卓を実際に使いこなすまでにはかなりの経験が必要となりますが
とにかく、盆栽の道具としての存在感はまことに得がたいものです

みなさんも、道具類を鑑賞する楽しさを是非覚えてください

2005年7月26日火曜日

水石と石っころ

「水石」を「石っころ」と呼ぶ私の旧い盆栽友達がいます
みなさんの周囲にもそんな人がいるでしょ
「水石」を「石っころ」と呼ぶなんて!
まったく情けなくって怒る気にもなれませんね

まあ、それはともかくとして、かくいう私だって、川原へ行けばそこにある石をまさか「水石」とはよびません
やはり「石っころ」と呼びますね

それでは、水石と石っころの違いはどのあたりにあるのでしょうか
同じ石を、何をもって「水石」と「石っころ」とに区別するのでしょうか


二ヶ月ほど前に同業者が所有していた鞍馬石
彼はほとんど水石に興味がありません

昔の盆栽屋のほとんどは水石を手がけたものですが、最近の盆栽屋で両方を手がける人は僅かになりました
そのかわりに、水石専門の業者が多数出現したのです

それはともかく、この鞍馬石を見た瞬間から私の目にはこれが「石っころ」とは映るらず、見どころのある「水石」に見えましたが
関心のない彼にはただの「石っころ」だったようです

どうです
持ち込みが古いでしょ

一山(ひとやま)の姿にどことなく愛嬌が感じられるでしょ
いわゆる「景」がある、つまり見る者をして連想の世界へと誘ってくれる何かを持ち合わせているのです
それが「水石」としての最低の条件でしょう


片や形に特徴がなくただの石としか見えないもの、
それが「石っころ」となってしまうのですね


私はこちらを裏側として見ました


石底です
鞍馬石としては奇跡的に、まったくの「ウブ石」です

この点については、私の信頼する同業の水石専門家にも見立ててもらい
間違いないとの太鼓判の評価を得ました

やはりこのような二重の駄目押しの鑑定は心強いものです
自分のものにはどうしても「欲目」が働いてしまうこともありがちなんです、人間ですからね


鞍馬石  間口19×奥行き12.5×高さ10.5cm

さて、そんな訳で、この鞍馬石の台座が出来上がりました
うーん、やはり台座に据えるとはっきりとした「景」が出てきましたね

この穏やかな一山からはのんびりとした山里が偲ばれてきます
決して奥深い山でなく、人々の住まう里に近い風景ですね

ここで、せっかく自分で見つけ出した「美しさ」ですから
こんなときには「銘」をつけて楽しむのも一興です

私はとりあえず平凡に「里山・さとやま」と命名してみました
もっと適切な名が浮かんできたら、そのときは改名すればいいんですから


光線を弱めてみると、里の山の夕暮れの景色となります


台座は名人に依頼した紫檀の高級品ですよ


台座の側面より見ると(左が正面方向)底の削り込みの深さの按配がわかりますね
(正面の方が浅く、後ろ側を深く削り込んでいます))
こうやって僅かに正面から見ての石の傾きを訂正しているのです
なかなかデリケートなものですよ

さあ、みなさん、ご自分の身辺を見回して下さい
「水石」らしきものはありますか?
それとも「石っころ」かな?

2005年7月24日日曜日

水石道の真髄

水石の世界では天然ものを「ウブ石」といって尊重します
「ウブ石」に対し一部でも人工的な修正が加えられていると「直してある」「いじってある」などと呼び
できれば避けたいとの思いを共通に抱いています

しかし、天然もので理想的な姿形をもった石
これはめったにないのです
そこで、石底の加工については認めざるを得ないというのが、偽らざるところでしょう

そんな水石界のなかで、数少ない例外として
茅舎石については加工が大っぴらに認められているのです

1 天然で茅舎の形を表現した石は稀であること
2 茅舎石は単体で鑑賞するよりも盆栽席飾りの添え物として登場することが多く、またそれに適している

このような理由からでしょうね

世に名石と呼ばれる茅舎石の中には加工されたものも数多く存在します


ご紹介する茅舎石は加茂川産です
屋根の部分意外はほとんど加工して作り出したものですが
持込の古さが際立っていて豊かな情感を漂わせいます

茅葺(かやぶき)屋根の日本の昔の家屋そのものになりきっていますね
おそらく半世紀からの持込がすっかり人工の匂いを消し去り
観るものをしてもはや「石」との感覚を抱かせなくなっています

その存在自体が鑑賞する者に対し「石」としてせまってこない
これが優れた水石の最大の条件です

遠山、荒磯、滝、水溜り、そして茅舎など、そのにあるものは「自然の景色」そのものなのです
石であって石でない
このことこそが「水石の道」の真髄なのです


後ろ側より


アップ、優れた石質と時代感がよく見て取れますね


華麗な細工の技巧が見られます




左側面より

2005年7月21日木曜日

蓮の花

春先に蓮の根を買ってきて、初めてのことなので半信半疑でしたが
とにかく土の中に油粕や煮干をたくさん混ぜて植え付け、鉢ごと水槽の中に沈めました

まもなく大きな蓮の葉が垂直に伸び出し
おまけにあとを追うように花芽も一つ出てきたのです

これにはびっくりしました
蓮の花は大きな池や沼で見るものと思っていたのですから

という訳で、間に合わせのプラスチックの桶の水槽から
優雅な蓮の花芽が口を開きだしたところを写真に撮ったのは昨日の夕方です










今朝見ると、みごとに開花しています
まことに立派ですね

まじまじと眺めてみましたが、水連とは桁違いのスケールの大きな優雅な姿に感動しました
やはりお釈迦様に関係のある花だけのことはあるな・・・
なんて思っちゃって、よーし、来年も咲かせてみよう、と小さな決心をしてしまいました

今日も暑くなりそうですね
盆栽屋の夏はけっこう忙しい、水遣り、消毒、草取り

まずは仕事前の早朝の日記でした

2005年7月14日木曜日

帰ってきた雄山鉢

過去のつれづれ草「2003/11/28 雄山鉢考証3・雄山絶品」を見た熱心な雄山鉢ファンから
この作品を探し出せないか、との依頼を受けました

このような依頼を受けても、私自身が売り先を忘れていたり
また例え行き先が分かっていても、売ってくださいとは言いにくかったりして
何かの偶然でもなければなかなか再入手が難しい場合が多いのです

ところが、今回は相手が同業者なので「もう2年近くも経つから、きっと売ってしまったはず」と思いながらも聞いてみると
なんとまだ手元に所有していたのです

「それじゃあ、売ってくれるかい?」と訊ねると
「ああ、いいよ」とこれまた意外にあっさりとした答え

ふつうはこんなことはありません
たいがいは、ああだこうだと言われて断られるのがおちなのです

さっそくその所有者を訪ねてみると、そのあっさりの理由がわかりました
彼は、ほれ込んで温めておいたこの雄山鉢の足裏に窯傷のあることを、最近ふと気がついたということでした

インターネットの場合は、相手が愛好家ならもちろんのこと例えプロであっても微細な欠点まで説明するのが常識ですが
プロ同士、それも実物を見ての相対での取引の場合、あまり詳しい説明をしないのが盆栽界のの習慣です

それが相手のプロとしてのプライドを尊重する態度であり
お互いにこの世界で飯を食っているという虚勢に似た、一種の美学ともいえる嗜好なんですね

そんな訳で、私が窯傷について説明をしなかった可能性もありますし、説明したかもしれません
2年も前のこの雄山鉢の取引の際のやり取りについては思い出せません

しかし、今となると「お互いに承知の上での取引」ということになってしまいますね
(決して自己弁護ではないですよ、彼も私を咎めるようなことは一切口にしませんでした)

あとはこの窯傷をどのように評価するかの問題です
そして、私から見ると、彼はこのことを過大なマイナス評価として認識していたということです
(これが私にとっては幸いなことであったことはもちろんです)

そのために、意外にあっさりと手放してくれたのですね
さて、その雄山鉢をとっくりと鑑賞してみましょう


藤掛雄山  染付山水図外縁隅入雲足長方

昭和50年代に製作された作品
構図、筆のタッチ、呉須の濃淡など、雄山絶頂期の仕上がりです

中期以後にはあまり見られない外縁隅切のすっきりとしたボディーの形状にも特徴があり
鉢としてのバランスも品格があります


湖水の岸辺に連なる家並みの図柄は珍しく、奥行きのある雄山絵画の世界が展開されています


すっきりとした形状も際立っています


走り過ぎない落ち着いた筆のタッチ、しかも疾走する馬は躍動感がみちています


側面 呉須の濃淡がみごとですね


雄山独特の物語性が感じられる世界です


このような長方形に囲まれた落款は昭和50年代のもので、レベルの高い作品が多いのです


さて、問題の窯傷の部分拡大図です


私がこの窯傷をごく軽微と断定する根拠は、表面の釉薬部分には達していないからなので
高水準のこの作品のレベルからして、価値観をいささかも損ねるものではありません

傷の判定評価は難しいものですが、それ当たってまず考慮すべきことは

1 作品自体のレベル(その作家の作品中においてどのレベルの作品であるか)
2 傷の性質(ニュー、ポツ、窯傷など)
3 傷の箇所(縁、胴、足、などの表面なのか、もしくは足や鉢裏など表面以外なのか)

以上の3点が大切なポイントです

この雄山鉢に当てはめてみると

1 雄山作品群の最高レベルである
2 表面に達していない窯傷である
3 表面に出ない箇所、つまり足裏の部分にあたる

みなさんお分かりですね
このような場合は過大なマイナス評価をする必要はないケースですよ
神経質になり過ぎると、かえって名品を逃すことになりかねません



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(参考資料)

2003/11/28 雄山鉢考証3・雄山絶品

この項を書いている間に、昔馴染みの雄山の絶品に巡り会い手に入れたので
もう一日分「雄山の考証」を書くことになりました

この雄山鉢は 、雄山の文字を二重に囲ってある落款から
昭和50年代の作品と識別できます

絵は非常に繊細で、呉須の色調もいいようでし
形もすっきりとした仕上がりです

足の作りも小さめで、雄山独特の鉢底の装飾もありません
初期の作品はまことに簡素な印象です


湖畔に張り出した家並みが繊細かつ正確なタッチで描かれており
遠近感が巧みに表現されています


側面をのぞく角度より
ボディーの隅がくっきりと切れています
これは昭和60年代以後の作品にはあまり見られない特徴でしょう


落款は二重の線で囲まれています
これは昭和50年代の作品であることを示しています


足の作りはやや細め、低めです

2005年7月13日水曜日

是好色紙事情

「子雀や 早く飛べ飛べ 親のもと」

是好さんが好んで書いた自作(?)の俳句です
雀の子といえば小林一茶の句、「雀の子そこのけ ~ 御馬が通る 」があまりにも有名ですが

手早く掻きあげた親と二羽の子雀の愛らしさに助けられ
この俳句まがいの文言も妙に説得力があり、全体に魅力的なものとなっています

この魅力は、豆盆栽をこよなく愛した是好さんの人柄と
長い人生経験から自然に醸し出されるものなのでしょう



子雀とそれを見守る母さん雀とがきっちり描き分けられています
省略された二羽の子雀の描写が可憐でとてもいいですね

色紙の裏には「八十三翁 中村是好 1983・10・30」と記されていますおり
最晩年の作品です

私が講師を務める千葉県松戸市内の盆栽愛好会には、晩年の約10年間位の間に何度もみえ
そのたびにかなりの数の色紙を会員さん達が購入したので、おそらく近辺に1000枚くらいは存在するはずと見当をつけていたのです

ところが、今回いざ本気で探してみると、案外に見つからない
100枚や200枚は軽く見つかると思っていたのがとんだ見込み違いでした

これには少々驚きましたね

原因を調べてみると、持っている方が高齢で亡くなったり、健在であってもどこかへしまい込んで行方を思い出せないでいたり
家の建て替えでしまつしてしまったりといろいろで、ほとんどは散逸してしまっているようです

改めて30年という歳月の経過を実感させられた次第です

そんな訳でやっと50枚ほど見つけましたが、おそらくあと5枚程度の目当てがあるだけで、その後の大量入手は難しい感じなので
私自身も所有している10枚の色紙を大切に保存するようにします