ラベル 竹本隼太 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 竹本隼太 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年4月27日火曜日

竹本隼太


青磁釉の性質は胎土の成分や窯の状態その他の条件によって、非常に変化しやすいものであるらしい。ご紹介するこの長方鉢は緑釉ではなく、青磁釉と表記されています。他の例を見ると灰色っぽい色彩の青磁釉も多く見られますが、ともかく均一ではなく、一つ一つが変化し自在の色彩となっているから面白いようです。


竹本青磁外縁切足長方
間口9.8×奥行き7.5×高さ4.6cm

深い緑色の釉薬の輝きは時代を経ていっそう落ち着きが出て我々見る者の心を刺激します。使用して味の出る古色感はさほどではなくとも、空気や人の手油などに触れて味わいが出てくるのでしょう。


100年以上を経たとは思えない竹本特有の土目と釉薬の輝き。鮮やかかつ深みのある色彩です。さほどに使い込んだ時代感はありませんが、それだけに100年前の釉薬の輝きが維持されている証拠だといえるでしょう。


独創的なデザインは、当時としては画期的な石膏のプレス加工の成型であり、新しい時代(明治)における先駆的な作品であったといえましょう。


この緑色の青磁釉薬の色彩の深さと鮮やかさが目にしみるようです。


釉薬の濃淡が光線の加減によって質感に変化をもたらして魅力的。


素朴、モダン、独創的。


新鮮な青磁釉の輝きは人の心を元気にしてくれるようです。

 

2011年12月21日水曜日

苔洲鉢と竹本鉢の知られざる逸話


市川苔洲・辰砂釉外縁六角 間口4.0×奥行き4.0×高さ2.7㎝

竹本鉢と苔洲鉢の両大家の作品には
非常に似通ったものが存在することはよく知られています

実際に、明らかに苔洲の釉薬であるにもかかわらず
形状は竹本にそっくりな鉢などによく出会うものです

とくにミニサイズの豆鉢に多く
初心者の愛好家では見分けに迷うことも多いと思います

そこでみなさんの参考のために、私が実際に耳にしたことのある
信頼性の高いある逸話をご紹介しましょう

竹本隼太は明治25年に45歳で没しており、苔洲は明治30年生まれで、大正の中期頃には東京・下谷(その後は目白)で作陶していたということですが
竹本没後と苔洲の活動開始時期には、少なくとも20年からの空白があります

しかし、苔洲がおもに鉢を焼いたとされるのは目白時代であり
その目白から竹本の窯があったとされる小石川までは、距離にしてわずかに3キロくらいしか離れていません

そこで、私の耳にした逸話になります

昭和の初期の頃、苔洲は当時まだ存続していた竹本家に出入りし
残されていた鉢型や素焼きの未完成鉢などを譲り受けていた

そして、その鉢型を用いて作ったボディーや素焼き段階の鉢に
自分で工夫した釉薬を施して焼いた

ということです

当時は、小品盆栽が現代ほどに一般に流布していたわけではなく
一部の好事家でひっそりと楽しまれていた時代で、万事ゆるやかなのんびりしていたのでしょう

それらの作品は、真贋などはまったく問題にされず
苔洲鉢としてすんなりと世間に受け入れられたそうです

もちろん、当時すでに作家として独自の世界を築き上げ、一家を成していた苔洲に
悪意などあろうはずはありません

その技、神域に至る、といわれた竹本への
強いあこがれや尊崇の気持ちがなさしめたのでありましょう

また、そうして生まれた作品が現代においても
竹本鉢としてではなく、苔洲鉢として存在していることは間違いありません

主に鉢の鑑定では、作風、釉薬、土目の三つが決めてとなりますが
同じ型を使ったボディーであっても、最終的に施釉して焼き上げた作者の作品であるのは当然です

研究の進んだ現代盆栽界においては、苔洲の釉薬と胎土の特徴は
竹本鉢のそれとはしっかりと区別認識されていますから、ご安心下さい

この逸話は、苔洲と親しい間柄であった、竹本家にも同行したこともあるという
当時まだ若かったある盆栽師が、子孫に語り継いだものです

その子孫から直接私が聞いたんですよ
信憑性は高いでしょ

冒頭にご紹介した苔洲の辰砂の六角鉢も、竹本鉢にも散見する形ですが
土目と辰砂釉との特徴から、苔州の作品であることは一目瞭然ですね

では

2005年1月3日月曜日

竹本豆鉢の傷

暮れの29日に仕入れた竹本八角の豆鉢
竹本隼太得意の青磁の釉薬です

一口に青磁釉薬といっても真葛香山のような明るい水色系統のものから
竹本作品のような地味で渋い印象のものまであります

釉薬の渋さは、竹本の使用する茶褐色の胎土の成分の影響もあるのでしょうが
他に例を見ない独特のものです

さて、この小さな八角鉢は、もともと地味な上に、長い間の使用による時代感がついて
風雅な感じが濃厚、いわゆる侘びさびが感じられますね



没後100年以上を経ている竹本隼太の作品ですが、どれほどの間使い込んだのでしょう
経験上、10年や20年の使い込みではこのようなイイ味は出ないはずです

少なくとも30年以上
毎日まいにち棚の上で日に当たり水をかぶり、肥料や樹木の葉のアクのせいもあって、このような味が出るんですね


鉢の縁の内側にも時代感が染込んで、真っ黒
ほんとに渋い!


ところで、向かって右の足がちょっとおかしいですね
ここに欠点があるんです、惜しい


八角なので角々に4本足です
その一本の外側が傷ついたか、もともと窯傷があったのか
とにかく、そのままにしておけばイイのに、その箇所を目立たないようにと削ったんですね

その結果かえて目立ってしまった
そんな感じです

鉢の傷はできるだけいじらない方がいいんですね
気になっても我慢して使い続けていくと

年月による時代感が自然にその傷を目立たなくしてくれます
それが最良の癒し方です

覚えておいて!

2004年12月10日金曜日

竹本鉢の思い出

竹本隼太は嘉永元年(1848年)の生まれで明治25年(1892年)に44歳か45歳で没しています
早死にですね

500石の大身旗本の身分に生まれながら維新の激動に遭い
陶芸への道へ進んだまったくの「変り種」です

竹本鉢といえば忘れられない若い頃の思い出があります

20代の後半ごろでしたね
ひとまとめて買った安物小鉢100個くらいの中に「おや!?」と思われる白磁の六角鉢を見つけました

うっかりすると瀬戸の安物の白磁鉢と見過ごすところでしたが
白磁の釉薬のコッテリ感が普通ではありませんし、磁器の白い土目もきめ細かくしかも力強い

「これは竹本かもしれない!」
直感的に感じました

「改」の文字のような落款が押してあるのもありますが、竹本鉢は落款がなくて普通です
まして間口5~6cmの豆鉢に落款が押されているのは皆無といっていいでしょう

さて、その白磁六角鉢が竹本であることを証明する手っ取りは早い道は
業者の主宰する交換会(私設オークション)に持ち込むのが一番だと思い立ちました

私は小規模な地方の交換会場へ持ち込みました
大きな会場だと、もし万が一「安っ鉢」だったら、大恥をかいてしまうと思ったからでした

実際には「竹本鉢だ」と言い切る自信がなかったということですね

さて、出品する番がきました
私はそれまでポケットの中で握り締めていたその豆鉢を、だまってセリ人の前に回転台に置いたのです

セリ人はむっとした表情で「なんだッ、これ?」と問いました
「鉢だよ」と返事をすると「アッタリまえじゃねえか!」と怒りましたね

たちまち怒ったセリ人は、500円の発句を切り出しました
これは怒るのも当然ですね、「鉢だよ」なんて返答は人を喰ってまったく失礼ですね

でも、私にするとそう答えるしかなかったのです
「竹本だよ」と言い切る自信はないし

かと言って「わからないんだよ」という答えもプライドが許さないし
また、そう言ったら最後、ベテランの猛者連中に買い叩かれてしまうのが落ちなのですから

「エーッ、こーいった鉢がーッ、500えん、500えん、エーッ、500えん!」
セリ人も竹本鉢とは気がつかないらしく「500えん」の繰り返しです

「やっぱりただの安っ鉢だったのかな」と内心後悔し始めたときに
「10まんえん!」と遠くから声がかかりました

わが耳を疑ってその声の方向に振る向くと
なんと斯界の大御所の某長老から「宮本クーン、その竹本、10万円でわしに売っとくれ!」と声をかけられたのです

一瞬のどよめきの後、会場はシーンと静まり返り、私とその大御所の長老との二人にだけスッポットライトが当たっている錯覚がし
私の目はその大御所の姿しか映っていない極端な視野狭窄に陥り、耳だって同じこと、他からの雑音は遮断された真空状態となっていました

結果は、もちろん売りましたよ、10万円は妥当すぎる値段でしたし
大御所の某長老は斯界の権威、それに逆らうだけの鑑定眼や見識が当時の私にあるわけありません

旧い懐かしい思い出であると同時に、
私はこの長老のおかげで貴重な勉強をさせてもらったこと、忘れることができません
盆栽屋は若い頃から現場の実践を積み重ねてこそ成長できるんです



さて、今回の竹本鉢ですが、青磁釉です
釉薬の表面に小さいひび割れがたくさんあります



これを貫入(かんにゅう)とか氷列(ひょうれつ)といい
細かい筋目であることから小貫入(しょうかんにゅう)といい、竹本の青磁釉の特徴です
一種の文様と考えればいいでしょう



竹本長方鉢の外に開いたボディーの角度や線の特色も↓の二つの画像も参考にして覚えておいてください







竹本鉢には内側に縁の返しがないのが特徴です
縁は外に開いたままですね、よく覚えておいてください



竹本には陶器も磁器もあります
陶器の土は茶褐色で重厚なこの土目が代表的です



竹本鉢の最大特徴は、石膏型による鋳込み式の技法で製作されていることです
内部の四隅に型に鋳込んだ際の凹みがあります

2003年11月8日土曜日

竹本・苔州の謎


昨日のつづき
竹本鉢と苔州鉢の類似の謎に迫ります

盆栽界の古老の間に

竹本の没後(明治25年)遺族の手に残された複数の石膏型は
その後、市川苔州の持ち物となり、それらを用いて苔州が制作したために
竹本鉢と苔州鉢には形や大きさの同じものが存在する

という説が現代まで伝えられていることは確かです

可能性のまったくない説ではありません
竹本、苔州ともに東京に住み、東京を拠点にして制作活動をした作家です

私は初めからこの説に異論はありませんでしたが
竹本隼太の没後(明治25年)から、明治30年生まれの苔州が鉢の製作を始めたと推測される
大正から昭和の初期まで、にかなりの時間的な空白があるのが気になっていました

明治30年生まれの苔州は、その全盛期といわれる昭和の初期には30歳の年齢に達しています
つまり約30年間の空白があるわけです

近世盆栽鉢史において30年の歳月の空白は長すぎますね

つづく

2003年11月7日金曜日

竹本対苔州1

小鉢の世界で竹本隼太、市川苔州といえば古典の最高峰の作家ですが
その両作家が、数多くの似かよった作品群を残しているのです

竹本隼太作・青磁釉正方
市川苔州作・瑠璃釉正方

↑の二つは間口がそれぞれ約3cmのほとんど大きさの似かよった豆鉢です
相違点は釉薬の色と、竹本は隅を切ってあるくらいです




しばしば鉢の鑑定の決め手となる土目もやや似ていますし
おまけに足の形までそっくり(やや大きさがちがいますが)
水穴の開け方までそっくりです

これでは異なる作家と断定する決め手が見つかりませんね

竹本は明治25年に没しています
苔州は明治30年の生まれです

謎は深まるばかりです

つづく

2003年8月31日日曜日

竹本辰砂

竹本隼太は幕末の人で、4千石の旗本であったそうです
維新後陶芸の世界に入りました
かなりの変り種といえるでしょうね

さいわい我が盆栽界にも、小鉢を中心に幾多の名品を残してくれました
今日はその作品を見ながら陶芸の世界でいう
「釉溜まり・くすりたまり」の魅力についてお話します


竹本作
辰砂釉正方樹盆(しんしゃゆうせいほうじゅぼん)
(間口6.7cm×奥行6.7cm×高さ3.1cm)

濃い赤紫の釉薬が足元すれすれのところで止まっていますが
ころあいを見計らって窯の温度を下げなければ
釉薬は足元を覆い隠すほどに流れてしまいます

陶芸家にとってこの瞬間の判断が難しいそうです


このように上のほうから熱に溶けた釉薬が足元の手前で止まって
ぽってりと溜まった箇所を「釉溜まり・くすりたまり」と呼びます

釉薬の量感が感じられてとても魅力的で
鉢の愛好家にはたまらない景色です

みなさんもこれから焼き物をみるときには
この釉溜まりに注目してみましょう

2003年7月25日金曜日

仕入れは命

今日は朝早くから仕入れに出かけました
私は昔から仕入れにかけてはマメなほうです

仕入れを怠けていると腕(目)がなってくるような気がしてきます
仕入れは盆栽屋の命なんですね
筋のいいものに出会ったときは、何年盆栽屋をやっていても嬉しい

そんな日は帰路の車の運転も苦にならないで
信号待ちの間に盆栽や小鉢を手にとって眺めていて
信号が青になっているのに気がつかず
後ろからクラクションを鳴らされることもしょっちゅうです

幸い今日もそんな嬉しい日になったので、数回鳴らされました
それでは今日の収穫を紹介します


(獅子頭もみじ)
取り木して3年は経っていて、堂々とした幹筋です
枝の張り具合もいい
将来の大物君です

来春鉢を替えればもっと男っぷりが上がるでしょう
二の枝が弱いので2~3年徒長させれば勢いがついて太くなります
いい買い物でした
それに予想以上に値切れました

相手の言い値が安い時はどんどん値切れ!!
これは私の仕入れの鉄則です


(平安東福寺鉢)
青味がかった海鼠(なまこ)釉の出来のいい東福寺
東福寺の場合、小さい鉢は手捻り鉢が多いのですが
これは普通のタタラ作り、珍しい
使いやすい鉢です


(平安香山鉢)
香山の白い薬の長方鉢
銀色がかったこの釉薬は香山独特のものです
これはいける、少々ホツがあるけど、その分値切りました

香山は東福寺の鉢作家の先輩です
初期のころ、東福寺は香山から影響も受けています
「はやく香山さんのようないい鉢を作れるようになりたいものだ」と言っていたそうで
東福寺は香山を尊敬していました


(竹本隼太鉢)
好きなんだなー竹本が!
いまや竹本鉢は盆栽鉢の古典です

竹本鉢を見ると、30数年の間に私が手を触れた(売買した)竹本鉢の数々の名品を思い出します
盆栽屋は売らなきゃご飯がたべられないから切ないですね
今でも忘れられないものがたくさんありますよ
ぐやしィー


(平安東福寺水滴)
それにしても東福寺はいろんなものを作りました
抹茶茶碗、ぐい飲み、急須、一輪挿し
だけど水滴(硯の水差し)は初めてお目にかかります
いい出来です
デザインが斬新です

以上5点が今日の買い物
朝早かったので午後2時ごろには帰宅しました
ご機嫌よし!!

2003年7月22日火曜日

夜の交換会


(竹本隼太・たけもとはやた)作 飴釉下方鉢(あめゆうげほうはち)
間口2.8×2.8×高さ3.4cm

夜の交換会を夜会(やかい)といい
朝早くから始る通常のオークションと違って夕方に集まり
一杯飲んで夕食を食べてから始るので、遊びの雰囲気が濃厚です

みなさんがテレビでナイターでも観ながら晩酌している時間ですから
盆栽屋だって、浮かれて売ったり買ったりしてしまいます

今夜は東京で夜会でした
セリ人は私

通常は会費(食事込み)で¥1,000が通り相場ですが
この夜会は¥3,000で飲み放題、食事は特上のばらちらし寿司
いける人はけっこう飲んでご機嫌さん
(飲酒運転する人はいませんね、飲みたい人はそれぞれに工夫してます)

私はセリをやるときはアルコールはやりません
飲んで大きな声を出すと、商売道具の大事な喉がつぶれてしまうからです

遊びでの雰囲気ですから、相場もけっこうめちゃくちゃな時もあって
それがかえって楽しいもんです
冗談(ほとんど駄洒落ですが)と笑いが絶えません

盆栽屋もたまには採算を度外視して、道楽したいんですね
夜会の雰囲気をみるとつくづくそう思いますし
我々は盆栽や小鉢を愛しているんだなーと実感するのも、こんな時です

↑の写真の小鉢は今夜の夜会で買ったものです
竹本隼人は大身(4千石)の旗本で、維新後は陶芸家として活躍した変り種で
彼の作品は珍品として盆栽界の古典として非常な人気があります

夜中の帰宅でしたが、夜会の雰囲気のよさと
この珍鉢を買えたために、酒も飲まずにご機嫌さんの私でした