2005年6月28日火曜日

大助・石州合作

佐野大助が亡くなって何年になったでしょうか、まだ10年にはならないでしょう
生前から小鉢の絵付師としての彼の技量は高く評価されてはいたのですが
作品の評価価格はイマイチでした

ところが没後数年が過ぎた頃からの人気の高騰はものすごく
今や市場では引っ張りだこの勢いです

人気と価格の急騰期には、えてしてこういう現象が起こるのですが
市場全体では非常な品薄感があるにもかかわらず
一方では、今までに見たこともないような名品が突然に市場に売りに出されたります

この現象は、収集家により密かに収集されていた愛蔵品が
値段の高騰につられたり抗い切れなくなったで、市場に放出されているのです

あまり響きのいい言葉ではありませんが
業界では業者が愛好家の収集品をしつこく粘って買い出すことを「引っ張り出す」といいます
つまり、市場価格が高騰すれば「値段で誘って」収集家をその気にさせ「引っ張り出す」というわけですね

まあ、これは市場の原理というやつで、このようにして品物が出回らなければ
大助鉢の人気も価格も上がりようがないわけです

ただ、ありていに言ってしまえば、手放した収集家が再び同じようなものを求めようとしても
なかなか同じ価格では無理だということです

ですから、収集家が愛贓品を手放したときには、その金額にお小遣いをプラスして
さらなる名品を求めておくことをお勧めしますね

お金で持っていると、いつの間にかなくなっちゃいますよ


佐野大助・ 市之倉石洲(光峰)合作鉢  ・麒麟・落ち雁赤絵一対

さて、この合作の一対鉢なども、収集家の放出品です
もちろん、このような珍品が出まわるということは、私達業界人にとってはありがたいことですし
市場の活況にもつながるわけですから、これは大歓迎です

大助、石州ともに脂の乗り切った全盛期の合作鉢で
ロクロ名人である石州のボディーはさすがに精巧を極めています

青みがっかった上品な白釉に、綿密に描き込んだ赤い釉薬がよく映っており
巨匠同士の個性がぴったりとかみ合った魅力に溢れています

大助は絵付け専門の鉢作家であったので、心山、一蒼など、多くの作家のボディーを使っていますが
石州との合作は数が少ないため、この一対鉢の評価価値には希少性も加味されてきます


体は鹿、尾は牛、ひづめは馬、額は狼という想像上の麒麟をみごとに描き切っていますね
石州の完璧なボディーを得て、大助の筆も精巧かつ躍動感溢れるタッチを示しています


人物や動物の絵は顔が生命です
みごとな描写です


蹄(ひづめ)の部分まで気を抜かずに描き切って緊張感があります


鉢裏の様子


石州独特の足の作り


「夜の雁や 葛飾の野に みな落ちぬ」  秋桜子
大助は好んで落ち雁の図を描いています

小さな画面をいっぱいに使った巧みな構図からも大助の類稀な絵画力が窺われます


哀愁を帯びた画題を鉢の縁のギリギリまで使った、スケールの大きな構図です


全体に余韻の感じられる画面ですね


鉢裏の様子


石州独特の足の作り


石州のボディーの見本


光峰の落款

2005年6月26日日曜日

ほのぼのとした図柄の多い是好さんの色紙の中で、珍しく山水画が一枚あります

ずーっと以前の盆栽つれづれ草の中で紹介した記憶があるんですが
念のためもう一度、お目にかけましょう

裏に1778・8.18とありますから、今からちょうど27年前
私宛の為書が記されているものです

物持ちの悪い私にしては珍しく保存状態もいいようです
虫除けと一緒にビニール袋に入れ、和箪笥の中に入れておいたのが幸いしているのでしょうね



やはりセンスがいいですね、やっぱり是好さんなかなか上手いですよね
それにしても、是好さんの残した色紙の中でも、これらはトップクラスの出来栄えだと思います

前歯で噛み潰したマッチの軸に墨をつけ、あっと言う間の仕事でした
マッチの軸意外には数本の筆と僅か数色の絵の具だけ

頭を振りふり洒落を飛ばしながら、せっせと手を動かし休みません
長い芸歴の支えられた軽妙な話術も一流でした



んー、さすがに懐かしい思いです

30年前の是好



「盆栽は 作るも楽し見るもよし 侘び寂びありて 心常に豊かなり」 為・宮本盆栽教室
月日の経つのは早いもので、この是好さんの色紙もかなりの年代ものになりました

最近是好さんの著書を手に入れHPで頒布したのを機会に
久し振りに我が家に残されている是好さんの色紙を引っ張り出してみると、ぴったり10枚ありました

そのうちの何枚かに記されている為書の年代は、1975年から一番新しいもので1980年になっていて
あの頃から既に30年の歳月が過ぎたのです

まさに、光陰屋の如し!

当時幼児だった娘はとっくに母親になり、生まれたばかりの乳呑児であった息子も今年で30才
疲れを知らないあんちゃんだった私、そうですねー、口に出すのは口惜しいけど、だいぶアルコールも弱くなりました

けど、気は若いゼ! 頭は冴えてるゼ!
負け惜しみにちょっとばかり吼えておきましょう

ちなみに、明治33年生まれの是好さんが健在であれば
今年で105才になります

私は懐古趣味者ではないつもりですが
たまにはこのように過ぎ去った日々への感慨にふけることもあるんですよ


春うららつくしんぼうの背絵くらべ

2005年6月24日金曜日

是好リバイバル 【2003/06/19 忘れえぬ人々2(中村是好さん)】

戦前からの俳優でミニ盆栽愛好家の中村是好さんは
「昭和の花咲じじい」とも呼ばれました

晩年にはちょくちょく松戸に見えて、例の軽妙な話し振りは
さすがに年季の入った芸に裏打ちされたものだと思いました

住まいのあった東京葛飾の堀切から向島、浅草あたりのミニ盆栽愛好家の人気者で
あちらこちらの愛好会に呼ばれ、終生退屈している暇はありませんでした



「盆栽は 作るも楽し 見るもよし 侘び寂びありて 心常に豊かなり」
まさに是好さんの本音だと思います

是好さんはこのように、俳句や和歌、また盆栽を讃えることばに
洒脱な絵を添えた色紙をたくさん書き残しました

文字はすべてマッチの軸で書きました、署名もです
絵は二三本の小さめの筆を使って、瞬く間に書き上げます

行列を作って待っていても少しも慌てません
独り言をつぶやき頭をふりふり調子をとって、それは早いものでした

晩年の70歳を越して一回り以上年下の女性と再婚されたことを
私達に冷かされても
「そりゃーあんた、心配ご無用、私は現役ですゾ」といたずらっぽく笑ってました

是好さんがミニ盆栽界に残した足跡は
計り知れない大きなものでした

ちなみのこの色紙の裏に1977.6.22とあります
歳月が過ぎ去るのはじつに矢の如しですね

2005年6月21日火曜日

是好の世界2


この写真は、是好さんの著書「小品盆栽」の函の裏表紙です
三段の飾り棚ですね、この頃はこのような飾り棚が主流でした

現在では箱型の卓、いわゆる「箱卓・はこしょく」が主流で、それに飽き足りない人たちが箱卓をアレンジし
新しい趣の飾りを目指し始めている、という段階です

小品の席飾りでも戦前、戦後、現代と大雑把に三段階に分けた場合でも
かなり傾向の変遷があるようです


昔の盆栽の写真集を見てうれしいことの一番は、とにかく珍しい鉢に巡り会えることです
前項でお話したように、盆栽だけなら現代のほうがグーンと格が上ですが

ところが鉢となると、現代ならば桐箱に入れて大事にされている逸品鉢が
そうです、この木瓜でさえ、「竹本の染付け鉢」が惜しげもなく使われていたりするのです

もったいなーあーいー
欲しいよーおー

そんな感じです
竹本の染付鉢、珍品ですよ


当時としては珍木(ちんぼく)であった小姓梅

しかし、東福寺の太鼓鉢が立派過ぎますね
東福寺の白釉の太鼓は少ないですよ


持込の古い楓です

コツコツとハサミで作ったもので
この雅味には現代にも通用するセンスが感じられます

ところで使われている鉢は、これまた希少な小糸泰山作
使い込みの時代感、実物を手にとって見たくなります


是好さん盆栽の師匠である「杉本佐七翁」遺愛の赤松

さすが杉本さんの仕立てたものは、大きさに拘らず盆栽の持つ普遍的な美が感じられますね
小品とは思えない、大自然の風雪に耐えて生き抜く赤松の生命力を盆上に表現して余りあります

2005年6月20日月曜日

是好の世界1

親しい同業者を訪ねたおりに、物置から出てきたという中村是好著「小品盆栽」を買い求めました
昔、私も愛読した本で、是好さんの著作の中では一番充実した内容の豪華本であったと記憶しています

この手の盆栽関係の古本の効用は、小品盆栽の今昔を訪ねてその変遷を知ったり
過ぎ去った昔を懐かしんだりするには格好の資料です

昭和43年発行となっているので、ちょうどこの時期に私は盆栽の世界の入ったのだ
そんな感慨も迫ってきます



「中村是好著・小品盆栽」の函表紙です



是好さん、若いですね
明治33年生まれですから、この当時60代の後半ですね

スクリーンでは地味な脇役ばかりで「汚い爺さん役」が多かった是好さんですが
実物は芸人らしくお洒落で、この写真のように顔色のよい活動的な人でした



よく持ち込まれた五葉松の文人木ですね

ただしよく見ると、南蛮風の渋い皿鉢がちょっとばかり大きいかな
また中には、中村是好ともあろう大先生がこんな鉢使いをして?、と思う方もいらっしゃるでしょう

鉢はたしかに大き過ぎますね
間口を四分の一ほど小さくしたら、もっとバランスがよくなるのは確かです

今の小品盆栽界のレベルから見ると、当時名木とされたものでも案外に平凡な姿をしていたり
当時でやっと盆栽の仲間入りしたくらいのものでは、それこそ、見られたもんじゃない

そんな感想を持つ方がいても、これは当然のことだと言えるでしょうね

当時大家といわれた中村是好さんや明官俊彦氏などの作品集を見てみると
あれから30年以上の間に、盆栽技術が飛躍的に進歩したことは一目瞭然に理解できます

それに伴い、鑑賞眼のレベルも高くなりました

是好さんの活躍した時代は、盆栽の育て方やものの見方が戦前の伝統を色濃く引き継いでいて
雰囲気を楽しむというような色合いの濃い、大らかというか、素朴な盆栽観が強かったのです

現代では、針金技術や培養技術の発達に伴い、かなり小さなサイズの盆栽でも
当時では考えられないほどの、揺るぎない構図と迫力を備えた小品盆栽が出現するようになったのです

盆栽観も時代の変遷と共に少しずつ変化しているんですね



この古い寒木瓜の素朴さは、充分に現代の盆栽人を楽しませてくれる趣と構図も兼ね備えていますね
おまけに鉢は東福寺、文句のない取り合わせです



紅したんの石付、鉢はなんと小糸泰山の青磁に飛び辰砂の超名品
10年ほど前に、このものか似たものかは判別できませんが、やはり飛び辰砂の小糸泰山の名品を扱ったことを思い出しました

さて、紅したんの方ですが、当時この樹種は、盆栽樹種としては充分に認知されていず
「園芸もの」として一段下に見られてもいました


また、この程度の紅したんは、今では巷に溢れていますね
かといってこ、れにより中村是好さんの盆栽家としての評価が下がりはしないことはご理解いただけるでしょう

これは歴史の変遷と技術の発達によるものなのです

この項続く

2005年6月8日水曜日

鉢は時代感だ

2005/04/13のつれづれ草 『鉢は出世するのか(鉢の時代感について)』 で、盆栽鉢の時代感の大切さについてお話しましたね
鉢も盆栽と共に日に照らされ水を浴び、長年の風雪に耐えることにより、風格を身につけていくのです

盆栽にもいえることですが、盆栽人にとっての鉢の自慢の第一は、すなわち時代感の自慢に他ならないのです
褒め言葉も同じで、「いい時代だねー」「古いねー」「味がいいねー」

盆栽人は鉢を見るたびにお互いにそんな言葉で褒めあっています
みなさんも聞いたことあるでしょ


岡谷是心の手捻り鉢

前面に彫刻を施すことの多い是心の作風にしては、ちょっと異色な軽妙さが持ち味になっていて
さりげなく蟹が一匹だけ沢にかじりついたような感じに彫り込まれています

土目のよさも目立ちますね
そして何より赤茶の土目がこげ茶色になるまで使い込まれた、時代感に惹かされますね

太陽や水など、自然の風雪の他に、盆栽に与える肥料の灰汁(あく)も時代感を増すための大切な要素ですね
ですから、新品の高級鉢に草を入れ、水をやり肥料を与えてたりして、盆栽人は時代感のためなら努力を惜しみません

その結果、高価な鉢に傷をつけてしまう恐れもあるんですが
盆栽人は時代感のためなら少々の犠牲もいとわない、勇気ある人々なのです


安井暁夢の鋲打ちの太鼓胴のミニ鉢

白っぽい透明な釉薬に真っ黒に時代がついて、底光りしています
5cmにも満たないミニ鉢ですが、存在感がありますね

東京の下町浅草界隈では戦前から戦後にかけてミニ盆栽が盛んで
かの松平伯爵さえ夜店の盆栽屋を冷やかしに現れた、といわれたほどです

このミニ鉢も、それらの流れを受け継いだかなり古い愛好家さんが大切に使っていたものなのでしょう
傷の一粒もないていねいな使い込みから、容易にそれらを推し測ることができます

いっったい、どのくらいの間水をかければ、このような素晴らしい輝きを与えられるのでしょう
そんな感慨にふけってしまうほどの味わいです


この天竜石仙も時代がいいでしょ
内側の釉薬の風化しかかっている様子、わかりますか?
やはり長い年月の使い込みによるのです

このように、盆栽も盆栽鉢も、ともかく古さからくる詫び寂びの味を楽しむ趣味だということを
みなさん、忘れないでくださいね、これが基本ですよ

現代小品盆栽は形や姿にこだわり過ぎる傾向がありますね
もう一度言います、盆栽趣味の基本は古さの鑑賞ですよー

2005年6月7日火曜日

木黄・宇野合作

小品盆栽鉢の世界には、いわゆる合作といわれる名品が数多く存在します
戦前の植松陶翠と品野茶山、戦後の平安香山と同じく品野茶山、月之輪湧泉と清風与平等々
小鉢史上に燦然と輝く名作が揃っています

合作鉢は、作品それ自体の楽しさと同時に、作家同士の交遊の証を垣間見ることができ
小鉢界の知られざる歴史を語る資料としても非常に貴重なのです

また、佐野大助の作品はすべて合作とも言えます
ということは、佐野大助は原則としてはボディーを作らず、絵付けだけに専念したからです

ところで、ボディーも絵付けも得意な木黄鉢にも希少な合作鉢が存在します
宇野登という、その道ではちょっとは知られた趣味性の強いボディー作りの名人がいるのですが
その作品に木黄が絵付けをしたものがあります

ほのぼのとした新鮮な色彩感覚の木黄の絵画
柔らか味のある宇野のボディー

その両者の個性があいまって非常に雰囲気のある詩情溢れた作品となっています
強い個性同士の相性がよかったのでしょう、新鮮味のある名品です


木黄画 五彩絵付外縁隅入長方鉢

宇野登のボディーに木黄が五彩画を施した合作珍品
二人の合作シリーズは僅かな数が確認できますが、その中にあって最高レベルの作柄を示す名品といえましょう



木黄のほのぼのとした五彩画は、さわやかな色図使いとリズミカルな筆のタッチが印象的です



趣味人・宇野登のやわらかな線が見どころのボディー



水彩画を見るような新鮮な色使い、のどかですねー









側面に金彩で木黄の為書きが記され
鉢裏のには宇野登と木黄との落款があります

2005年6月6日月曜日

大助本領発揮

大助の傑作鉢はかなりの数を見てきたつもりですが
またまた素晴らしい作品に出会えました

安藤広重の木曾街道69次の軽井沢宿は、旅人の一瞬の動きを捉えた名作として知られますが
大助はその模写を、鉢という限られた小さな空間にみごとに描ききっています


佐野大助 五彩正方鉢 (安藤広重・木曾街道69次の内より軽井沢)

夕闇迫るころ、やっとの思いで宿場に着いた旅人が、焚き火を見つけて煙草を一服しているようすです
正面の絵は、馬上の旅人が身を乗り出して馬子のキセルから火をもらおうとしている一瞬でしょう

それでもなお馬子の足は目指す宿の方向に向いていて
よほどに急いで様子が遺憾なく描かれています

当時は夜間の旅は許されなかったといいます
日の暮れに急かされている人馬の一蹴の動きがみごとにとらえられていますね

叙情性あふれる画面、押さえ気味の色彩の格調、構図など璧な仕上がりですね
広重の原画もみごとですが、小さな空間に描き取った大助の技量もみごと


後ろの旅人は焚き火にむかって腰をかがめてキセルを差し出しています
一瞬をとらえたみごとな描写力


旅人達が目指す先には軽井沢宿の家々が待っています


木曾街道69次の内 軽井沢


鉢裏は大助の落款


正面拡大図
構図、色彩、人物の動きなど、すばらしい描写です


画面が90度に折れても画面の流れによどみがなく、大助の力量は「鉢の角」を苦にしていません
これは湧泉、石州、一石、雄山など絵付けの名人達に共通しています


ユーモラスな人物描写
優れた叙情性が感じられますね

こんな絵付を見ると、ますます大助ファンが増えることでしょう
私も改めて大助の技量の高さに感動しています