2020年10月30日金曜日

平安香山名鉢鑑賞

昭和を代表する鉢作家といえば、平安香山と東福寺の両名人をあげて異論のあるひとはいないでしょう。自由闊達で多彩な東福寺に対し、かたやカミソリ香山と異名をとるほどに精緻
な作風で知られています。
ともに釉ものの作品が圧倒的に多く、今日ご紹介するような絵付け鉢は全体の10%はおろか1%に届くかどうかというほどに希少です。特に最近の絵付け鉢人気の高い盆栽市場においは、愛好家さんたちの収集意欲が積極的に働き予想をはるかに超えて、ますます人気の向上を招くという状況を呈しています。


平安香山・染付外縁山水図雲足長方
間口9.7×奥行き7.6×高さ4.4cm

香山特有の赤味をおびた胎土で精緻繊細な外縁ボディーが成型されています。控え目な外縁と小さ目な雲足に品格が感じられます。


香山や東福寺は自ら絵筆をとることはなかったので、それらの絵付けは京焼の著名な絵師が請け負っていたと伝えられています。本作においては親しみやすい里山の集落の風景が描かれています。
この真正面の角度より眺めても、精緻なボディーに少々のねじれや狂いはありません。さすが平安香山です。



よほどの愛好家さんが大切に使い込んでいたと思われます。これほどの時代感にもかかわらず小さなホツレひとつありません。


こちらが裏面になるでしょうね。


間口、奥行き、高さのバランスがすばらしいですねえ。


四面を額で区切らずに周り絵であるので、なおさら格調の高い作品となっています。


「香山作」と釘彫りにて記された落款。この落款はごく古い作品につかわれています。
「香山」と記された書き落款はこの釘彫り落款の次の時代のものになります。
そしてその後(昭和48年)より「香翁」の落款となります。



鉢裏と足の様子。


鉢裏と足の様子。さすが「カミソリ香山」です。上から見ても下から見ても破綻はありません。使ってよし、眺めてよしの名品・珍品です。



 

2020年10月22日木曜日

小糸泰山(四君子)


まずは小糸窯(こいとよう)のご紹介から。
飛騨高山三代藩主金森重頼のころ、京より陶工を招いて市西郊外の小糸坂に築窯した、いわゆるお庭焼が源と伝えられています。その後絶えていた小糸焼を終戦も間もない昭和21年、現代に復活させたのが小糸泰山なのです。
やがて従兄弟関係にあたる大宮盆栽村の園主・村田九造氏の勧めによって、第一期といわれる作品群200鉢と、その後の第二期作品群のやはり数百個がこの世界に残されることになり、異色かつ寡作の作家として知られています。


間口9.0×奥行き9.0×高さ3.0cmの小糸泰山・染付外縁隅切四君子図切足正方
四君子とは蘭、菊、梅、竹を植物の最も貴いものとして喩えた呼び方を云います。



四君子のうち菊

小糸泰山の作品郡は、織部、呉須、赤、緑などの釉薬を駆使し特異な雰囲気が持ち味であり、また同じ型のものであってもすべての絵付けが異なるという特徴をもっています。


四君子のうち竹


四君子のうち梅


四君子のうち蘭


正方鉢における内縁のていねいな彫り込みによる作柄も泰山特有の作風である。
外縁、隅入、四面の絵付け、高めの切り足など総合的にバランスが整って見事です。



泰山特有の隅入とやや高めの切足に格調があります。


かなりの使い込みの古色感がありますがうれしいことに、無傷完品です。


泰山の落款はこの他に筆書きによるものもありますが、本作品のような凸型の落款は「出べそ落款」と呼ばれて馴染まれています。


縁の周囲に描かれた細密な文様は泰山の本領が発揮されています。


「泰山」とはっきり読める出べそ落款。

 

2020年10月19日月曜日

昔の盆栽記念帖より

しばらくぶりに昭和36年発行の「盆栽記念帖(白石山房百楽翁)」をめくってみる。昭和36年という年代を振り返ってみれば、敗戦からの痛手から脱却の途についたとはいえ、未だ今日のような盆栽大衆化には程遠い時代だと思います。いってみれば未明を過ぎてようやく明け方に近づいた夜明け前の時代といえましょう。


この記念帖の前後に発行された他の記念帖も盆栽界に残されていますが、そのほとんどは大家と呼ばれる大収集家の売り立て用のカタログのようです。それにしても、今日となると貴重な資料でね。


現代のカラー画像があたり前の時代から見ると、白黒の素朴極まりない写真帖ですが中身を見るとびっくりするほどの名品の山ですよ。まったく驚きの内容ですね。



上は天下の名品、真葛香山と小野義真との合作「旭波」
下は「渋草焼」の赤絵丸です。
ちなみに竜にもいろいろと呼び名があって、この渋草焼の竜は「雨竜」と呼ばれています。


あまりにも有名な「古渡絵紫泥楕円」、現在では東福寺作品の絵紫泥鉢などと5枚セットになって紹介されている作品です。


竹本正方と下は同じく八角鉢。
特に上の正方鉢は竹本鉢特有の青磁釉を施した上に詩文を書いています。


詩文の書かれた六角鉢。


詩文入り竹本正方鉢。


平安東福寺作の絵付け楕円鉢二点。


井上良斉。きっと釉薬は黒蕎麦でしょうね。

これほどの名品が無造作に載っています。豪勢ですね。薄っぺらな冊子の数ページを紹介しただけでこれだけの名品が載っているのですから!

 

2020年10月10日土曜日

佐野大助研究(推敲版)

 2005年9月8日(木)

大助は絵師、そのボディー師としては紺野心山氏が知られています。心山との共同創作活動は、かの代表作「東海道五十三次」などとなって世に残されました。

根っからのやんちゃ坊主で、年老いてまで遊蕩児の精神を失わなかった大助は
ある時には,いっぱいの酒飲みたさに絵筆を執ったこともあった、と巷間に伝聞います。

鉢作家でありながら自らはボディーを作らず、もっぱら絵筆一本を頼りに生きぬいた大助。
その結果、大勢のボディー師との合作作品が作られ、期せずして作風の多彩さというありがたい遺産となり現在の私たちに残されたのです。

さて、そのように数ある大助を取りまいたボディー師の中に宗像一蒼氏がいます。
ちなみに、氏は現在伊豆の山中に隠れるようにひっそりと棲み暮らし作陶活動を続けています。


佐野大助・宗像一蒼合作 染付雷神図外縁丸

合作の場合、紺野心山氏のボディーには必ずといっていいほど氏の落款、○に「心」が印されていますが
一蒼氏のボディーには、単独の作品なら必ず見られる「一蒼作」のそれがありません。

私は、その理由を一蒼氏の控えめで欲のない人間的美質からくるものだと思っています。
かたや紺野心山氏のほうは、(悪口じゃないですよ)、年取った今でもけっこう「食えないじいさん」で、佐野大助との創作活動によって盆栽界に残された「過去の名声」をいまでもしっかり利用しています。
(やっぱり悪口だ!)

ところでご紹介するのは、一蒼氏のスッキリとした磁器のボディーに描いた雷神の図。
数ある大助作品の中でも、雷神を描いたこの染付鉢は傑作ですね。
力のこもった筆致でリアルな表現、雷神の顔、手足、絵の具の濃淡、全てにおいて優れています。

心山との合作鉢には五彩作品が多いのですが、一蒼氏とのそれは、玄人好みの地味な絵が多く、いずれも粒揃いの傑作が多いようです。

ロクロ名人である一蒼氏のボディーの品格が、大助の絵心とあいまった結果だと思われます。



雷神の怖い顔に迫力があります。
それに、足指や脛などの細部の描き込みもリアルでみごとな筆致です、うまいですね。

そうそう、思い出しました、過去にも一蒼氏との合作で忘れられない傑作がありましたっけ!
過去の「つれづれ草」から抜粋しましたこの鉢です。



山の端に昇る月と渡りゆく雁の群れを背景に、牛の背で笛を吹く牧童。
大助の叙情に溢れた絵付け、うまいですね、 惚れ惚れとします。

大助の絵付け鉢のモチーフは多彩で、安藤広重の東海道五十三次など、その出典も多岐にわたり、京友禅の絵付け職人だったといわれるその域を遥かに超えた仕事をしています。

近景に骨太に描かれた牛と笛を吹く牧童の背中
大助のデッサン力の確かさと巧みな画面構成がみられます。

モチーフを背面から描くことにより、叙情的な画面によりいっそうの余韻が強調されており、このあたりに大助の技量の高さが感じられます。



骨太のデッサンの力に圧倒されますね。
まるで油絵のようです。

この絵をみると、京友禅の職人であった大助は、
溢れ出る才能に加え、若いときにかなり本格的な絵画の勉強をした人のように思えます

淡い色調の丹念な描き込みは、さすがに大助全盛期の作品。
牧童の背中に幼い可愛らしさとともに、哀愁も漂っていますね。

近景の山の描写は丹念に描き込んで、その下方は大きな余白をとっている大胆な構図が光ります。山の端に昇った月が叙情性を深める役目をになっていますね。

以上の2鉢、大助・一蒼合作作品のトップレベルの傑作と認定します。
みなさん、勉強になりましたか?

2020年10月9日金曜日

稚松愛草鉢鑑賞

稚松愛草(わかまつあいそう)という作家は生没年も不祥で、京都の稚松小学校の近くに住まっていたところから、この陶名を用いたと伝えられています。まことにあれだけの名作を世に残しながら、あまりにも伝えられることの少ないミステリアスな作家です。



辰砂釉、緑釉、瑠璃釉などの発色は独特であり、他の作家の追随を許さないものがあります。造形的には全体に小振りな作品が多く、ゆるぎのない几帳面でバランスのいいのが特徴です。


このミニ鉢は間口が7.5cm、緑釉が温度の高い登り窯で変化し、さらみそこに持ち込みの時代感も加わって、愛草ならではの独特の趣が滲み出ています。


ところが眺めているうちに、あまりに時代感が付き過ぎて本来の釉(くすり)の色彩が見えにくいことに気がつきました。
そんなときには文房具屋さんで売っている「砂消しゴム」を使って、ところどころ、つまりボディーの隅や下地の透けて見えるような箇所を、少しずつ時代感を擦り落としてやりましょう。さらに縁の上側など、ところどころに変化を持たせるように、斑に汚れを擦り落とします。


縁の上場(うわば)や切足のやや上あたりの釉の止まったあたりに、釉の輝きが見られるようになりました。全体が明るくなって色彩にもアクセントが出てきたでしょ?


この角度から見ても、釉の輝いた箇所と落ち着いた時代感に覆われた箇所のコントラストに、赴きが感じられるようになってきました。この一連の作業はいわば鉢のお化粧というわけですね。


如何ですか?
最初の方の画像よりもずーっと輝いていませんか!?


この面も少々違ったイメージですね。


鉢裏と足の様子も検証してみましょう。愛草にとっては珍しいことに、焼成中の温度が高かったのでしょう、足の釉が僅かに流れて、窯内の棚板にくっついてしまいました。
まあ、鉢底からもろに見るとちょっと気になりますが、正面から見た場合は、許されるレベルの範囲でしょう。


深みのある釉ですね。さすが愛草です。


この面も他の面とは違った趣ですね。


この面の釉も艶が出てきました。








登り窯特有の灰被りの味わいが感じられる内側の画像。


落款は小さく「稚松愛草」
小さく控え目で愛草らしいですね。

 

2020年10月8日木曜日

平安香翁のもったいない話



昭和の名人として東福寺と並び称される平安香山は、昭和48年の正月より子息にその雅号を譲り、みずからは香翁と名乗りました。
そして落款も香翁としたものですから、旧いもの好きな盆栽人にとっては香翁と記された鉢は出来上がりは良くてもなんとはなしに物足りなくて、どうしても香山よりも下に見るような風潮がありました。


さて、この香均釉(こうきんよう)と呼ばれる香山得意の釉のかかった切立雲足(間口14cm)の作品は、おおよそ30年以上前に市内の親しい愛好家さんに買って頂いたものです。しかしながら、惜しいかな「香翁」の落款だったことをはっきりと覚えています。


昨日作った作品と今日のものと優劣があるとは思えませんが、人の心理と言うのは面白いもので、極端に言えば同じ作柄でも半分くらいの評価だったこともままありました。


所有者の親しい愛好家さんが当時、「この鉢、おしいよなッ、香山ならなッ!」
そう言って笑っていたのをよく覚えています。


その思いが募りすぎたのか、それともいたずら心に度が過ぎたのか、ある日、ついにダイヤモンドカッターつきのボール盤で落款の部分を切り取ってしまったのです。


真ん中の穴の部分が香翁の落款のあったところで、その左右の穴も多少大きく開けなおしています。それにしても、うまくきれいに開けたものです。まるで本穴のようにきれいです。


「まるで今となればキチガイざただよね!」
「若かったんだねー、盆栽にも鉢にも夢中だったんだね、香山ならなーッって熱い一念が強行させたんだよ」。
それにしても、もったいないことでした。現在人気絶頂の香山で、香翁も同じッ評価です。