2020年10月8日木曜日

平安香翁のもったいない話



昭和の名人として東福寺と並び称される平安香山は、昭和48年の正月より子息にその雅号を譲り、みずからは香翁と名乗りました。
そして落款も香翁としたものですから、旧いもの好きな盆栽人にとっては香翁と記された鉢は出来上がりは良くてもなんとはなしに物足りなくて、どうしても香山よりも下に見るような風潮がありました。


さて、この香均釉(こうきんよう)と呼ばれる香山得意の釉のかかった切立雲足(間口14cm)の作品は、おおよそ30年以上前に市内の親しい愛好家さんに買って頂いたものです。しかしながら、惜しいかな「香翁」の落款だったことをはっきりと覚えています。


昨日作った作品と今日のものと優劣があるとは思えませんが、人の心理と言うのは面白いもので、極端に言えば同じ作柄でも半分くらいの評価だったこともままありました。


所有者の親しい愛好家さんが当時、「この鉢、おしいよなッ、香山ならなッ!」
そう言って笑っていたのをよく覚えています。


その思いが募りすぎたのか、それともいたずら心に度が過ぎたのか、ある日、ついにダイヤモンドカッターつきのボール盤で落款の部分を切り取ってしまったのです。


真ん中の穴の部分が香翁の落款のあったところで、その左右の穴も多少大きく開けなおしています。それにしても、うまくきれいに開けたものです。まるで本穴のようにきれいです。


「まるで今となればキチガイざただよね!」
「若かったんだねー、盆栽にも鉢にも夢中だったんだね、香山ならなーッって熱い一念が強行させたんだよ」。
それにしても、もったいないことでした。現在人気絶頂の香山で、香翁も同じッ評価です。


 

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