2020年10月10日土曜日

佐野大助研究(推敲版)

 2005年9月8日(木)

大助は絵師、そのボディー師としては紺野心山氏が知られています。心山との共同創作活動は、かの代表作「東海道五十三次」などとなって世に残されました。

根っからのやんちゃ坊主で、年老いてまで遊蕩児の精神を失わなかった大助は
ある時には,いっぱいの酒飲みたさに絵筆を執ったこともあった、と巷間に伝聞います。

鉢作家でありながら自らはボディーを作らず、もっぱら絵筆一本を頼りに生きぬいた大助。
その結果、大勢のボディー師との合作作品が作られ、期せずして作風の多彩さというありがたい遺産となり現在の私たちに残されたのです。

さて、そのように数ある大助を取りまいたボディー師の中に宗像一蒼氏がいます。
ちなみに、氏は現在伊豆の山中に隠れるようにひっそりと棲み暮らし作陶活動を続けています。


佐野大助・宗像一蒼合作 染付雷神図外縁丸

合作の場合、紺野心山氏のボディーには必ずといっていいほど氏の落款、○に「心」が印されていますが
一蒼氏のボディーには、単独の作品なら必ず見られる「一蒼作」のそれがありません。

私は、その理由を一蒼氏の控えめで欲のない人間的美質からくるものだと思っています。
かたや紺野心山氏のほうは、(悪口じゃないですよ)、年取った今でもけっこう「食えないじいさん」で、佐野大助との創作活動によって盆栽界に残された「過去の名声」をいまでもしっかり利用しています。
(やっぱり悪口だ!)

ところでご紹介するのは、一蒼氏のスッキリとした磁器のボディーに描いた雷神の図。
数ある大助作品の中でも、雷神を描いたこの染付鉢は傑作ですね。
力のこもった筆致でリアルな表現、雷神の顔、手足、絵の具の濃淡、全てにおいて優れています。

心山との合作鉢には五彩作品が多いのですが、一蒼氏とのそれは、玄人好みの地味な絵が多く、いずれも粒揃いの傑作が多いようです。

ロクロ名人である一蒼氏のボディーの品格が、大助の絵心とあいまった結果だと思われます。



雷神の怖い顔に迫力があります。
それに、足指や脛などの細部の描き込みもリアルでみごとな筆致です、うまいですね。

そうそう、思い出しました、過去にも一蒼氏との合作で忘れられない傑作がありましたっけ!
過去の「つれづれ草」から抜粋しましたこの鉢です。



山の端に昇る月と渡りゆく雁の群れを背景に、牛の背で笛を吹く牧童。
大助の叙情に溢れた絵付け、うまいですね、 惚れ惚れとします。

大助の絵付け鉢のモチーフは多彩で、安藤広重の東海道五十三次など、その出典も多岐にわたり、京友禅の絵付け職人だったといわれるその域を遥かに超えた仕事をしています。

近景に骨太に描かれた牛と笛を吹く牧童の背中
大助のデッサン力の確かさと巧みな画面構成がみられます。

モチーフを背面から描くことにより、叙情的な画面によりいっそうの余韻が強調されており、このあたりに大助の技量の高さが感じられます。



骨太のデッサンの力に圧倒されますね。
まるで油絵のようです。

この絵をみると、京友禅の職人であった大助は、
溢れ出る才能に加え、若いときにかなり本格的な絵画の勉強をした人のように思えます

淡い色調の丹念な描き込みは、さすがに大助全盛期の作品。
牧童の背中に幼い可愛らしさとともに、哀愁も漂っていますね。

近景の山の描写は丹念に描き込んで、その下方は大きな余白をとっている大胆な構図が光ります。山の端に昇った月が叙情性を深める役目をになっていますね。

以上の2鉢、大助・一蒼合作作品のトップレベルの傑作と認定します。
みなさん、勉強になりましたか?

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