陶翠窯の歴史は遠く明治時代にまでさかのぼることができ
草創期から現代に至るまでの、まさに小鉢界の歴史そのものといえる存在です
ところが、その長い歴史のため、かえって評価の混乱を招いているという実情に鑑み
作品の制作年代の厳しい考証が進むと同時に、再評価の機運が高まっています
さてここで、陶翠鉢の歴史を大雑把ながらオサライしておきましょう
1)
袋式の外縁小鉢に額を切り白磁の象嵌を施し、水野嗣賀男の手による五彩画
ボディーは緑寿庵の手によるものと考えられます
この水野正雄は昭和40年に60歳になったのを機に緑寿庵を名乗りました
この人が戦後の陶翠鉢の主人公で、その跡継ぎが嗣賀男です
陶翠印と嗣賀男による書き落款が同時に印されています
2)
さて、外縁に額を切り、蘭・菊・梅・竹の「四君子」を四面に彫り込んだ作品
底光りのする土目のよさと時代感が抜群の魅力を発揮しています
この作品は土目や落款から判断すると戦後の早い時期(昭和30~40年代)の作品と思われ
水野正雄が緑寿庵を名乗る前後でしょう
3)
外縁に額を切り、鮮やかな瑠璃釉に、白とピンクの釉薬二重に施した大胆なデザイン
堅実な作風の陶翠鉢には珍しい作品です
(2)の作品とサイズはまったく一致しますが、土目の質感と落款「陶翠」の捺されている方向が異なることから
一対で作られた作品ではないと考えられ、制作年代も(2)の作品よりやや後のようです
4)
水野嗣賀男のボディーと絵付けによる作品
1~3の作品よりもやや後期に属すると思われます
落款は戦前より有名な凸形に出た、いわゆる「出べそ落款」
「陶翠窯造」です
また、現在製作されている陶翠鉢は水野嗣賀男以後の後継者によって形成、絵付けされているのでしょう
絵や書き落款に嗣賀男とやや異なる作風が感じられます
さて、ご紹介した4点の鉢はすべて戦後ももので、いわゆる水野・陶翠の作品で
戦前の陶翠鉢は厳密にはこれらと区別された植松・陶翠です
植松陶翠(本名・長太郎)が企画監修し、実際に製作に携わったのが水野春松・水野正雄兄弟
つまり植松陶翠は優れたプロデューサーだったという訳です
機会がありましたら、実際の植松陶翠鉢をお目にかけながら改めて解説するつもりです
ですから、陶翠鉢には二種類が存在する
それは、戦前の植松陶翠鉢と戦後の水野陶翠鉢
これくらいの大雑把なことは覚えておいてくだいね
きっと役に立つことがあります
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