2005年9月30日金曜日

支那鉢白交趾(しろこうち)長方

支那鉢が安くなりはじめてから、かなりの年数が経ちました
支那鉢を仕入れることもめったになくなり、支那鉢全盛時代の業界に育った身としては
フトそれに気がつくと寂しい思いになります

やっと近頃になって、いいものはいいのだ!と自らを奮い立たせる気になり
そろそろ相場も下げ止まりしたようなので、ここらで支那鉢の再評価をすることが盆栽人の責務だと思うようになりました


白交趾長方鉢  間口18×奥行13.3×高さ5.0cm

さて、ご紹介するのは「白交趾外縁長方鉢・しろこうち・そとえん・ちょうほうばち」
もっと正確に呼べば、「白交趾外縁切足長方鉢・しろこうち・そとえん・きりあし・ちょうほうばち」となります

大正から昭和の初期にかけて中国大陸で製作され渡来したもので
盆栽界ではこの時代の支那鉢を中渡り(なかわたり)と呼びます

一般的に支那鉢といえばこの中渡りをさすことが多く
明治期以前のものを古渡り(こわたり)と呼ばれ特に珍重されます

それらに比べ、戦後もしくは現在製作され輸入されているもの
盆栽界ではこれらは一線を画し、支那鉢とは呼んでいません

戦後の昭和の時代のものを新渡(しんとう)、平成になってからのものを新々渡(しんしんとう)
と呼ぶのが現在の盆栽人の習慣的な呼び方と思ってください



盆栽業者間では「支那鉢」という呼称は、中渡以前の中国の古い鉢であることを示していて
それ以上の説明がいらないのです

しかし、戦後のものの場合は、必ず新渡か新々渡とかと付け加える必要があり
もしそうでなかったら、商売上でもトラブルになること必定です



間口18cmという使いゴロの寸法で、奥行きもたっぷり
水穴に金物の網を用いたのでしょうね、その錆がこびり付いています

ちなみに、この白交趾の間口と奥行きのバランスはおよそ「10:7.4」
支那鉢としては奥のあるあるほうです

たいがいは「10:6」前後のものが多く、ちょっと奥行きが不足しており
このあたりが支那鉢の人気が低迷している原因の一つでもあります

ともあれ、100年近い前に作られその後大切に使われてきた支那鉢
土や釉薬の味わいもよく時代感も備わり焼き物としても素晴らしい

折に触れご紹介していきまます

2005年9月29日木曜日

市之倉石州鑑賞

大正14年多治見の陶家に生まれた市之倉石州
磁器の土目の清潔感、成型の正確さ、そしてお得意の絵付けと
文字通り三拍子揃った、まさに名工と呼ぶにふさわしい作家です


わずか4.8cmのミニサイズの初期作品
石州の描く絵画は奥深く幽玄で、哲学的な雰囲気さえ感じられます

そういう印象を持つのは私だけでしょうか?

ところで、このミニ鉢のテーマは
紀元前の4世紀~3世紀のころ楚の国王に仕えた政治家・詩人「屈原・くつげん」が政治の陰謀により国を追われ
洞庭湖のほとりを彷徨う様を描いたものです

(屈原はこの洞庭湖に身を投げて死ぬのです、かの横山大観が同じテーマを描いた名作があります)


同じく失意の屈原が望郷の念に駆られながら、死に場所である洞庭湖のほとりを彷徨する様を描いています
(みなさんも、どうりで寂しい雰囲気の絵だと思ったでしょうね)
また、このような歴史的な画題を選んだ石州の教養と見識にも恐れ入ります


側面には「汨羅屈原」と書かれています
ただし、石州は汨(べき)という文字を泪と書いていますね、まあ、大目に見ましょう

汨羅は(べきら・洞庭湖のほとり)の地名で屈原(くつげん)は主人公の名前です




このように、絵鉢を鑑賞する場合、描かれているテーマや詩文の解釈
そして、作者の人間性や教養までも踏み込んでみると違った面白さも味わえますね

ところで、この名鉢を【屈原・くつげん】と命名することにしました
もちろん、この鉢に描かれた悲劇の政治家・詩人である主人公屈原の史実に依ったものです

2005年9月28日水曜日

究極の黒松

ミニサイズ(樹高13cm位まで)の黒松を作らせたら日本中でも1、2番は間違いなし
その黒松名人の作品を手に入れました

黒松の仕立てにはとにかく手間隙がかかるものですが
この名人は抜群のセンスと経験に加え、時間をかけることを惜しみません

針金は要所に最小限度しか使わず、時間と根気の要るハサミ作りが基本
樹高わずか13cmの黒松を、樹齢数百年の大木然とした姿に作り上げてしまうのです

黒松の本格的な模様木は13cmくらいまでの樹高が限度といわれますが

この名人の作品は、根張りの力、立ち上がりから中間部そして樹冠部へ向かう幹の激しい模様
さらには基本に忠実な枝配り、など多くの要素を完璧に備えた隙のない樹形です


黒松模様木  樹高13cm×左右17cm

やや斜めに立ち上がった幹は低い位置で力強い第一の曲となり
一の枝が理想的な位置に張り出しています
八方に張った足元の根張りも申し分ありません

ニの枝(受け枝)のあたりから、幹は理想的な曲がりとコケ順をとなっていて
このあたりにも名人の驚異的な技量が発揮されています

葉陰に隠れて見えない樹冠部付近の幹模様と枝配りも理想的
ミニサイズの黒松として奇跡的とも言える重厚な姿です

樹高は現在の13cmを維持し、左右は1.5センチずつ伸ばし計20cmの計画
左右の枝に力がついた将来の姿を想像してみてください、素晴らしいでしょうね


新正面をさぐりやや右方向からの画像

この正面の方が立ち上がりに切れ味が感じられますね
重厚感はやや薄まりますが、好みによりこの角度の正面も考えられます

ところで、この黒松の現時点では角度により「元細」に見えます

これは、このようなサイズの小さな黒松を仕立てる過程で
捨て枝を付けての急激な肥培や切り返しによる模様付けなどが原因で
避けて通れない宿命的ものともいえるのです

しかし、この「元細」は、輪郭が仕上がって利き枝の充実をはかる今頃の時点を境にして
根張りの充実とともに年々解消される一過性のものと考えてください

黒松の生理的特質として、これからが根元の太る時期に入り
培養を重ね完成が近づくとともに、足元の逞しく張った姿に変貌していきます


ニの枝から上の幹筋
緻密な枝配りと変化のある幹模様が見られます


左側面より


後ろ姿

これからの培養の要点(他の黒松一般にも適用してください)

1 涼しくなりました、冬芽の充実を図り来春の芽吹きのいいように、タップリと肥料をやりましょう
2 葉透かし・11月に各芽先ごとに今年の新葉を5枚(5対)残す
  そのとき、フトコロの古葉はハカマを残すようにハサミで切り込む、新葉も同じ(将来の芽当りを期待する)
3 芽摘み・葉透かしと同時に、枝先を2芽に揃える
4 関東以西での越冬はなるべく屋外で
5 来春の芽吹き前に残した新葉5枚を3枚に減らし新芽の伸びを促します

2005年9月24日土曜日

支那均窯長方鉢

小鉢界ではいま和鉢が全盛、そんな潮流の中で支那鉢のよさを再認識する愛好家の方が
私の身近にも現れはじめました、これは嬉しいことです

ところで、盆栽界で支那鉢というのは、少なくとも明治から大正、そして昭和の戦前にかけて製作されたものをさし
現在輸入されている中国製の鉢は、新渡(しんとう)とか新々渡(しんしんとう)と呼ばれます

両者は概念の上でまったく別なもの、と、みなさんに理解していただきたい
私達盆栽人は、前者をのみ支那鉢と呼び、後者のことは単に新渡とか新々渡と呼ぶのが正しいのです


さて、戦前に、おそらく日本からの注文によったものでしょう、明るい空色の釉薬
均窯(きんよう)と呼ばれ、支那鉢の中でももっとも人気のある釉薬です

均窯とは中国の古い窯の名で、そこで焼かれた代表的な釉薬がこのような空色だったのです
近頃では均釉(きんゆう)という呼び名もかなり一般的になってきました


ボディーの外側に反った曲線がすっきりしていますね
このすっきりとした線が支那鉢の持ち味なのです

ボディーの下辺に下紐(したひも)の意匠が施されています
デザイン上、これが効いていますね


均窯の鉢に用いられる土は、紫泥、朱泥、白泥が代表的
この鉢は白泥(はくでい)です


鉢底が一段下がっていますね
このような底面の作りは押し底と呼ばれ、平底よりも一段高級とみなされています

水穴は支那鉢特有の一発仕上げ、つまり開けっぱなしで後からの修正の手が入っていません
その他あちこちにもヘラの痕跡が残っていますね

これが支那鉢なのです!
そして、東福寺を初めとする旧い日本の代表的な鉢作家の原点はここにあるのです

これからも折に触れ支那鉢のお話をしていきましょう

2005年9月10日土曜日

宮崎一石寸評

先日ある人と久し振りに電話で長話をしたときに、過去に私が商ったこの宮崎一石作の五彩六角鉢が
あまり遠くない愛好家の手元に落ち着いていることを知りました

ところで、私達盆栽屋は、大好きな盆栽や鉢を商って「ご飯を食べさせて頂いている」わけですから
惚れ抜いて買い求めたものでも自分で抱え込んでいるわけにもいきません

私もこの一石は一目で惚れこんで手に入れたものだったのですが、人手に渡すのが盆栽屋としての仕事
しかたありませんね
ただ、行方が知れただけでも懐かしく、ホットしたような気分になりました

愛好家に見せびらかし自慢して「売りたくないよ」なんて言ってる盆栽屋を見かけることもありますが
それは下手な駆け引きで言ってるのか、もしくは職業としての自覚が足りないのに決まっています
そんな盆栽屋は要注意ですよ

本当に「売りたくない」「売るつもりがない」なら、人さまに見せてはいけないのです

売らなきゃ「ご飯が食べられない」し
それに、盆栽屋は「いい品物を愛好家に斡旋提供する」べき職業であることを
しっかりと自覚しなければいけません

あらあら、すっかり説教がましくなってしまいましたね

さて、とは言え「好きなものは好き」であって、過去に手元から放した名品を思い出すことはしばしばで
この宮崎一石の五彩六角には是非とも巡り会いたいし、売り物になったときには再び我が手にしたい名品の一つです


宮崎一石作  五彩山水図六角鉢  間口7.8×奥行7.8×高さ4.2cm

鮮やかな色彩を駆使した一石の最高傑作
真に名品の名作といえるみごとな仕上がりです

この小さな画面に壮大なスケールの山水を綿密に描き込んだ作者の熱と技巧は圧巻で
完璧な仕上がり、みごとというほかはありません

おもしろいことに、人物や動物がいっさい登場しない画面
一石は得意の山水図に心ゆくまで没頭しています






最近お客様に買っていただいた赤絵六角
これもよかった、素晴らしかった!








この染付けは現在頒布中の長方鉢
この絵も大好きです

ここでついでに宮崎一石の絵画寸評

一石は「大胆で巧み構図と緻密jなタッチの画家」といえます
ご紹介した3点とも構図が大胆ですね(もう一度ごらんください)

それにしっかりと輪郭線は描きながらも、その線だけに頼らず、またそれで絵をごまかしてはいません
対象物の輪郭線の内側をしっかりと描き込んでいます

ここが凄いんです!

お話の意味がわかりますか?

故に宮崎一石は「大胆で巧みな構図と緻密なタッチの画家」なのです

2005年9月9日金曜日

雄山鉢の見ずっこ買い大成功

盆栽仲間の取引で、電話などの話だけでもの(鉢の場合が多い)を買うことを「見ずっこ買い」といいます
「見ずっこ」すなわち実物を「見ないで」買うこと
私はこれが好きで、よくやるんす

寸法や作柄や傷の有無、それに時代感など(もちろん価格も)を聞いただけで
「よーし、見ずっこ買おう!」と約束するわけです

なにしろ写真1枚見ていないわけですから、後日実物に接するときの楽しみはまた格別で
想像していたより上質だった場合の喜びは格別ですよ

え?当たり外れの確立はですって
そりゃあすごいもんで、95%以上の確率で「大当たり」、ホントですよ、「外れ」なんてめったにありませんよ

なぜそんなことするの?ですって
それは、いいものを早く押さえるためと、時間の節約のためです
更に言えば、それを重ねることにより、相手との信頼関係を確率したり一層深めるためでもあるんです

商売相手の鑑定の力量と人柄、それに説明表現の癖や好みなどを熟知していれば、ほとんど大丈夫
そんなに心配することはありません

ただし、みなさんにはお勧めしません、誤解しないでくださいね
これはプロ同士、それも一部の信頼関係のある仲間同士で行われている取引の方法ですからね

そんなわけで、今回もこの雄山鉢を「見ずっこ買い」しましたが
ほら、この通りの上作でした

 
藤掛雄山作 染付山水図外縁長方 間口14.5×奥行11.8×高さ4.5cm


昭和の末ごろ某盆栽園主により国風展、雅風展など一流盆栽展示会用に特注された実用銘鉢

当時の作品は10~12cmくらいまでのサイズが主流であったため
本格的外縁長方鉢を熱望するファンの期待に答えた雄山の力作です

良質な磁器土、ボディーの風格、呉須絵の筆致と鮮やかさなど
雄山円熟期の高度な業が発揮された実用銘鉢です

2005年9月8日木曜日

佐野大助研究

大助は絵師、そのボディー師としては紺野心山氏が知られています
心山との共同創作活動は、かの代表作「東海道五十三次」などとなって世に残されました

根っからのやんちゃ坊主で、年老いてまで遊蕩児の精神を失わなかった大助は
ある時には,いっぱいの酒飲みたさに絵筆を執ったこともあった、と巷間に伝聞されています

鉢作家でありながら自らはボディーを作らず、もっぱら絵筆一本を頼りに生きぬいた大助
その結果、大勢のボディー師との合作作品が作られ、期せずして作風の多彩さというありがたい遺産となり
現在の私たちに残されたのです

さて、そのように数ある大助を取りまいたボディー師の中に
宗像一蒼氏がいます

ちなみに、氏は現在伊豆の山中に隠れるようにひっそりと棲み暮らし
作陶活動を続けています


佐野大助・宗像一蒼合作 染付雷神図外縁丸

合作の場合、紺野心山氏のボディーには必ずといっていいほど氏の落款、○に「心」が印されていますが
一蒼氏のボディーには、単独の作品なら必ず見られる「一蒼作」のそれがありません

私は、その理由を一蒼氏の控えめで欲のない人間的美質からくるものだと思っています
かたや紺野心山氏のほうは、(悪口じゃないですよ)、年取った今でもけっこう「食えないじんさん」で
佐野大助との創作活動によって盆栽界に残された「過去の名声」をいまでもしっかり利用しています
(やっぱり悪口だ!)

ところでご紹介するのは、一蒼氏のスッキリとした磁器のボディーに描いた雷神の図
数ある大助作品の中でも、雷神を描いたこの染付鉢は傑作ですね
力のこもった筆致でリアルな表現、雷神の顔、手足、絵の具の濃淡、全てにおいて優れています

心山との合作鉢には五彩作品が多いのですが
一蒼氏とのそれは、玄人好みの地味な絵が多く、いずれも粒揃いの傑作が多いようです

ロクロ名人である一蒼氏のボディーの品格が
大助の絵心とあいまった結果だと思われます


雷神の怖い顔に迫力があります
それに、足指や脛などの細部の描き込みもリアルでみごとな筆致です、うまいですね

そうそう、思い出しました、過去にも一蒼氏との合作で忘れられない傑作がありましたっけ
過去の「つれづれ草」から抜粋しました

この鉢です


山の端に昇る月と渡りゆく雁の群れを背景に、牛の背で笛を吹く牧童
大助の叙情に溢れた絵付け、うまいですね、 惚れ惚れとします

大助の絵付け鉢のモチーフは多彩で、安藤広重の東海道五十三次など、その出典も多岐にわたり
京友禅の絵付け職人だったといわれるその域を遥かに超えた仕事をしています

近景に骨太に描かれた牛と笛を吹く牧童の背中
大助のデッサン力の確かさと巧みな画面構成がみられます

モチーフを背面から描くことにより、叙情的な画面によりいっそうの余韻が強調されており
このあたりに大助の技量の高さが感じられます


骨太のデッサンの力に圧倒されますね
まるで油絵のようです

この絵をみると、京友禅の職人であった大助は
溢れ出る才能に加え、若いときにかなり本格的な絵画の勉強をした人のように思えます

淡い色調の丹念な描き込みは、さすがに大助全盛期の作品
牧童の背中に幼い可愛らしさとともに、哀愁も漂っていますね

近景の山の描写は丹念に描き込んで、その下方は大きな余白をとっている大胆な構図が光ります
山の端に昇った月が叙情性を深める役目をになっていますね

以上の2鉢、大助・一蒼合作作品のトップレベルの傑作と認定します
みなさん、勉強になりましたか?

2005年9月6日火曜日

梅盆栽の魅力

梅はまさに花物盆栽の王者

「野梅三輪」という言葉に表われているように
風雅で上品な侘びさびの趣が魅力です

地味で落ち着い雰囲気の梅と華やかな桜
日本人がもっとの愛する花ですね

盆栽としての特徴は、花はもちろんのことですが、多彩な樹形が可能であり
幹肌の荒れやサバやジンの古雅な趣、密な小枝の表情など、魅力あふれる樹種です

とはいえ、15cm以下のサイズでの山採りによる素材は極端に少いため
近年では、古木の大型サイズの盆栽から「接ぎ取り木」という手法による素材の確保も行われています


樹高14cmの野梅半懸崖
力強い立ち上がりは野趣満点、強い模様にゆるみがなく理想的な姿
ポイントになる落ち枝の表情も際立っています


幹筋の拡大図

立ち上がりにジンがあり強い一曲目を過ぎた箇所がサバになり
そこで一度下垂した幹は二曲目で再び上方に立ち上がり、全体の模様に隙がありません

幹肌はまだ発展途上であり、今後の持ち込みにより
イボ状の「本肌・ほんはだ」となり、さらに風雅な味わいを見せてくれるでしょう


後姿
現在の小枝の数ではやっと正面の輪郭線を形作るのが精一杯というところ
ただしご心配は要りません、野梅は小枝の分岐がよく密になる性質を持っているからです


自然に朽ち果てたサバ幹は梅盆栽の古さを見せ場です

さあ、みなさんも梅の盆栽に挑戦!!

2005年9月5日月曜日

古いミニサイズの楓の模様木を手に入れました
推定樹齢はおおよそ30年でしょう


樹高10cm以内の手の平サイズ、幹の直径は根張りから立ち上がったところで約2cm
根張りの素晴らしさと幹肌の綺麗なところ、それに雑木らしく温和な感じが特徴です

それではこの樹齢30年の根拠は?といえば
やはり一番に根張りと木肌と言えるでしょう


鉢中いっぱいに広がった根張り
しかもただ盤状になっているのではなく、根張りに動き(躍動感)がありますね
「根の泳ぎがいい」と表現するする人もいます

盆栽人はこのような根張りが大好き
大地をしっかり掴んだ逞しさに自然界の生命力が感じられるからです

大きな鉢に入れて管理したのでは、このような動きのある逞しい根張りを作れませんし
幹も樹高も大きくなり過ぎてしまいます、ただひたすら小さな鉢でコツコツと丹念に作りこむのです
もちろん水も肥料もごく控えめです


後ろから見た根張りです
大きな根張りでしかもやさしい細幹の姿、これが雑木を好む人の求める理想形の一つですね
これくらいになるには30年からの年月と丹精が必要なんです


やや下方から幹筋をのぞいてみますと、おそらく愛好家が長年丹精したものでしょう
枝の作りにややギコチナサがみられますね

味わいを重視し、太らさないよう水も肥料も控えめにして管理してきたのでしょうが
枝のギコチナサはこれからでも充分に作り直せます

来春植え替えをし、入念に将来の計画を練り
骨格の見直しの剪定をしまます

培養上で気をつけることは、改作に必要な樹勢をつけることはもちろんですが
行き過ぎてあまりに若返らせないこと、せっかくの味わいが失われます

小さ目の鉢で、水も肥料もやや控えめな管理に徹します