2005年2月22日火曜日

舟山鉢 2

舟山鉢の人気の秘密を幾つか具体的に挙げてみましょう

1 支那鉢の伝統に倣い、一発仕上げの手作りの味
2 盆栽を引き立てるための鉢の要素、つまり程よく制御された格調のある姿
3 実用鉢としての機能(奥行きなど)が優れている
4 土目が渋くなお且つ堅牢、しかも豊かな質感をもっている
5 その胎土の性質から、使い込みの時代感がのりやすい

おおよそこんなところでしょう

1については前項で解説しましたね

2に関して

盆栽鉢にとって基本的な要素であることは、論を待ちません

3に関して

舟山は自身が熱心で優れた盆栽愛好家であったため
現代盆栽界の潮流である太幹盆栽向きに、機能美を失わないギリギリの線まで
奥行きのある長方鉢に取り組みました

舟山は支那鉢に倣いそして挑み、それを超えたのです
その先見性と支那の定石を覆すほどの大胆な行動力には頭が下がる思いです

4と5に関して

前項とこの項の作品を見ていただければお分かりになると思います
また、この2点の作品に限らず、数十年の使い込みのよりかなりの時代ののりを見せます


舟山作  鋲打太鼓胴丸鉢  間口10.5cm





2005年2月19日土曜日

舟山鉢 1

東福寺や平安香山亡き後の日本の鉢作家を代表するといえば
まず第一に「鈴木舟山」の名が挙がるでしょう

それまでの鉢作家といえば、活動中には評価されず
亡くなってかなりの年月をおいて再評価、という形で人気が高騰するのが普通のパターンだったし

またそれが、作家の宿命ともいわれたのですが
この舟山に限っては、その常識には当てはまらなっかたのです

とにかく昔から高かったですね
とてもやわな盆栽を入れられる値段ではなかったのです

没後約20年、さらに人気は上昇、名実ともに日本実用名鉢界の最高峰と
その名を欲しいままにしている舟山鉢の秘密に迫ってみましょう


舟山作  焼締外縁雲足丸樹盆  間口8.1×奥行8.0×高さ3.0cm

中国の清朝末期に、日本向けの盆栽用樹鉢として様式が完成されたされた、中渡りの泥ものもの作品
舟山はそこに範を求め胎土と形の研究をし尽くしたといわれています

それだけに、舟山作品は中渡りの特徴を余すところなく受け継いでいて
このミニサイズの丸形樹盆も一見すると、支那鉢のような端正さとピント張り詰めた強靭さとを併せ持っています

使い込んだ時代感が引き立つ土の味
間口と奥行きと深さのバランス

すっきりとしたこの鉢姿が支那鉢に倣った舟山鉢の特徴なのです


胴の部分のタタラの合わせ目(継ぎ目)が一見無造作に残されていますね
中渡りの支那鉢にもよく見られることで、手際よい一発仕上げであることがわかります

また、縁内側への折り込み部分にも手作りの痕跡が濃厚の残され
名人・舟山の練達した技が、いかに手早くそして優れたものであったかを物語っているのです

予断ですが、この特徴は、平安東福寺にも共通しています




鉢裏にも特別に「こねくり回した」痕跡はみられませんね
仕事は手早く、それがすっきり感を生む元なのです


鉢の胴の最下部の仕上げですが、やはり折り込みの部分は、手作業の痕跡が濃厚ですね
これが微かな下紐のようなアクセントにもなって、全体の鉢姿に締まりを与えているのです

さすがです

最後に雲足です

他の鉢にも同形、同サイズの雲足があることから、型を使っていたようですが
そのヘラ痕には、手早く仕上げた「角・かど」があり、手練の技の魅力が伝わってくるのです

2005年2月15日火曜日

東福寺「霞桜」に落款発見!

1月5日のつれづれ草でご紹介した無落款の名品「霞桜」に、落款が確認されました
びっくりしましたね、まったくたまげた驚いた、でした

それにしても東福寺という人は、まったく人騒がせですね

そして、1月5日に

盆栽界には明らかに東福寺作品と断定できながら無落款の作品が存在します
無落款の様相は大まかに

1 明らかにないもの
2 釉薬の下に隠れてはっきりと識別できないもの
3 落款の押し方が弱くはっきりと識別できないもの

に区別できます

とご紹介した記事に

4 落款が何かの理由で、外見から識別しにくいもの

という一項を入れる必要があったことも思い出させてくれたのです

6~7年前のこと、やはり昔から無落款で通ってきた名品に
きっちりと落款があるのを発見した経験があるのです

その鉢は、鉢裏まで釉薬が掛かっていたもので
東福寺は、押した落款が釉薬で隠れないように、あらかじめその部分を石膏で保護しておいたのです

東福寺が、焼上がりの後にそれを剥がさなかったために、埋もれた落款は何十年も日の目を見をみられず
その鉢はずーっと無落款で通ってきてしまっていたのです

ある夜、一杯機嫌の私が、石膏の塊とはつゆとも知らず
鉢裏の小さな突起物を、爪の先でゴリゴリと強く擦っていたのでした

胸のうちは、あーあ、この鉢も落款があれば、もっと、うーんと高く売れるのになー
どっかに落款押してないのかなー
でした

と、突然、突起物がポロリと剥がれたではありませんか
一瞬、訳がわからず、しまった、やっちゃった、鉢を壊した、と思いました
一杯呑んで鉢を触らなければよかった、まずかった、手元が狂った、たちまち後悔の念

ところが、恐る恐るその突起物が剥がれた箇所を見ると
何と「東福寺」の三文字が出現しているではありませんか!

そのときの驚きと感動は、今でも忘れることができません
お酒の勢いの効用、たまにはあるんですね、ひたすら感動々々でした

もしあのとき一杯呑んでなかったら
間違いなくあんな高価な東福寺の鉢を、爪の先でゴリゴリなんてやらなかったでしょう

わしゃ、なんと運のイイ男なんだろう!

という経験のある私は、今回のこの「霞桜」にも落款があるような気がしてならなかったのです




東福寺作 銘「霞桜」 間口6.8×奥行6.8×高さ6.0cm

どうです、みなさん、いい姿でしょ
こんな銘鉢に東福寺が落款を忘れるなんて、信じられなーい






上から下、下から上、縦横斜め、なめるように探したんですよー


ナイナイナイ、どこにもナーイ

でも一箇所だけ不審な点はあったんですよ
雲足の裏側に黒いぼやけた文字らしきものが見えていて、それが「東福」らしかったのです

でも、それが例え「東福」の文字であっても、それは何代目かの蔵者のマジックペンなどによる覚え書きであろう
そう結論付けていたのです

ところが


今回、何の気なしにザット水洗いした折に、ふと見ると
その文字がやや鮮明に見えるのです

あれ!?


もう一度湿らせて見ました


マジックペンで書かれたと思い込んでいたのに、文字の上には薄く透明釉が掛かっているー!
これは落款だ、そうに違いない!


もう一度、もっと水を付けてみる
やーッ「東福」がはっきり見える、その下に「寺」も見えそー!


間違いなし、これは落款を押すスペースが少ないことに気がついた東福寺が
黒い釉薬で書いたものです

やッたー、見つけたぞッー!

これだから東福寺は油断も隙もありゃしない
最後まで諦めちゃ、い、け、ま、せ、ん、ゾ

あとがき
この東福寺「霞桜」は盆栽屋.comの頒布ページ最新入荷優良品PART56に掲載され
松戸市内の愛好家の方に買っていただいたのです
その後、奈良県のMさんの熱望により、遠方へお嫁入り直前の、入念なお化粧の最中におきた出来事でした

奈良県のMさんこそ、すごーい強運の持ち主
大当たりー!

2005年2月9日水曜日

東福寺丸鉢の(秘められた)技法

明治から大正、昭和前期にかけてのこの時代の鉢作家は
樹鉢の先進国、支那鉢にその創作の原点を見出していました

中国の宜興の堅牢な焼締めもの、景徳鎮の優美な磁器、広東地方のの瑠璃、織部釉など
それらに倣いながらも、日本人独自の感覚による自前の樹鉢を創作するための試行と模索が行われた時期でした

なかでも東福寺は,釉薬ものは広東鉢の瑠璃釉や織部釉
焼締めものにおいては、宜興の泥ものの影響を強く受けながら、温もりのある日本鉢独自の境地をめざし土と炎との格闘の連続でした

この項でご紹介する作品は松柏盆栽に似合う、支那鉢に負けない造形の確かさと土目の重厚さを併せ持った鉢です

梨皮のコクのある土の表面はまことに落ち着いた魅力を呈し
支那鉢に負けない揺るぎない造形美をも兼ね備えています

東福寺の理想とした境地にみごとに到達した、焼締めものの傑作の部類に入る作品です



さて、その東福寺の最高傑作の造形の秘密に迫ってみましょう

それ、は縁の構造にあるのです

縁の上面が外側に向かってやや下がっていますね(東福寺が影響を受けた支那鉢は縁の上面が平らなのが普通です)
また、縁の外側の角を僅かに削り込み丸みを出しています

このあたりが東福寺の天才的な造形感覚

この縁の構造こそが、支那鉢にはあまり見られない特徴で
これにより重厚感と同時に独特の温もり感が演出されているのです



どうです
角が尖った感じがありませんね
それでいて存在感は充分です

これが東福寺の隠し技なのです

おわかりですか?

2005年2月8日火曜日

赤松・自然の味

この赤松は、いわゆる「山実生」といわれる、自然界に生えた実生苗の山採り素材を
25年もの歳月丹精したもので、置き場の事情から知り合いの愛好家が放出されました

赤松人気の秘密は、盆栽の持つ自然の風情を味わいたい
そんな盆栽人の強い願望の表われでしょう

赤松は野趣を表現するには最適といえる樹種で
締めた培養にもよく耐え、年古びた木肌の荒れややさしげで繊細な枝先に見どころがあります



これが黒松ならやはり力強さを目指した培養をするでしょうが
作者は赤松本来のもつ柔らかな雅味を求め、太り過ぎないように、鉢を小さく締め続けたのです

それが功を奏し、木肌は荒れて天然の雅味が色濃く滲み
人工の匂いはすでに跡形もなく、自然界にゆったりと佇む赤松の風情を楽しめます

盆栽においては、自然らしさの表現
そこにこそ究極の醍醐味があるのです

山採り素材が少なく、人工の実生や取り木などの生産手段に頼らざるを得ない現代の盆栽界では
どうしても造形の美しさへ目がいきがちですが、盆栽本来の「自然の味」、これをも大切にして頂きたい

この項、そんな思いで記しました



肌荒れの様子