明治から大正、昭和前期にかけてのこの時代の鉢作家は
樹鉢の先進国、支那鉢にその創作の原点を見出していました
中国の宜興の堅牢な焼締めもの、景徳鎮の優美な磁器、広東地方のの瑠璃、織部釉など
それらに倣いながらも、日本人独自の感覚による自前の樹鉢を創作するための試行と模索が行われた時期でした
なかでも東福寺は,釉薬ものは広東鉢の瑠璃釉や織部釉
焼締めものにおいては、宜興の泥ものの影響を強く受けながら、温もりのある日本鉢独自の境地をめざし土と炎との格闘の連続でした
この項でご紹介する作品は松柏盆栽に似合う、支那鉢に負けない造形の確かさと土目の重厚さを併せ持った鉢です
梨皮のコクのある土の表面はまことに落ち着いた魅力を呈し
支那鉢に負けない揺るぎない造形美をも兼ね備えています
東福寺の理想とした境地にみごとに到達した、焼締めものの傑作の部類に入る作品です
さて、その東福寺の最高傑作の造形の秘密に迫ってみましょう
それ、は縁の構造にあるのです
縁の上面が外側に向かってやや下がっていますね(東福寺が影響を受けた支那鉢は縁の上面が平らなのが普通です)
また、縁の外側の角を僅かに削り込み丸みを出しています
このあたりが東福寺の天才的な造形感覚
この縁の構造こそが、支那鉢にはあまり見られない特徴で
これにより重厚感と同時に独特の温もり感が演出されているのです
どうです
角が尖った感じがありませんね
それでいて存在感は充分です
これが東福寺の隠し技なのです
おわかりですか?
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