2005年5月29日日曜日

是好鉢の鑑賞

「昭和の花咲じじい」と呼ばれたミニ盆栽の中村是好絵付けの小鉢
軽妙な俳画とそれに添えた文句が楽しいですね

是好鉢には蟹や雀を描いたものが多いのですが
この二つの鉢は鮮やかな五彩を施しています



「盆栽は作るも楽し見るもよし侘び寂びありて心常に豊かなり」「喜寿記念・是好」と記されています
この鉢をじっと眺めているうちに、ふっと思い出したことがありました

それは、是好さんは色紙を書くのにマッチの軸を用いていたことでした
とすると、この鉢の絵付けも、もしかして、マッチの軸を使ったのではないか?という疑問が湧いてきたのです




そこで過去の「盆栽つれづれ草」を調べてみましたところ
2003/6/19の「忘れえぬ人々2」に同じ図柄の是好さんの色紙が掲載されていました(自分で書いたのに忘れていました!)

両者を比べてみると、字体がそっくりですね
是好さんはこの鉢の絵付けにも、色紙同様にマッチの軸を用いたようです

これはまさしく、新たなる発見です!!!



陶芸家で鉢作家でもあった「菊池春陽」のボディーに絵付けをしたもので、鉢裏に「春陽」の落款があり
水引草(みずひきそう)を描き、自作の句を添えた軽妙な絵付けがみごとですね



「侘しくもなにやらゆかし水引草」
この文字もマッチの軸で書いたものに違いありませんよ、楽しくなってきましたね

それにしても、是好さんが描いた色紙の数は半端じゃない
松戸市内だけでも1.000枚くらいはあるはずなのに、最近すっかり見なくなりました

昔の愛好家を訪ねて譲ってもらい、みなさんにご披露することにしましょう

2005年5月28日土曜日

町直鉢鑑賞

鉢作家・今岡町直のことは過去のつれづれ草で度々触れましたが
昭和40年代の初めごろ、そう、私だってまだ20代の前半ごろ、東京の洗足池で何度かお目にかかっています

是好さん、大助さん、明官さんなど、ミニ盆栽史に残る大先輩達が池のほとりの風致会館に集まり
初心者の指導や盆栽談義に花を咲かせていました

町直氏はそこへ自作鉢を売りに来ていたのです
年のころは、そう、40台の後半くらいだったでしょうかね

端正なマスクのおとなしい感じの
そう、インテリ風な方でした

さて、さて、話がそれて長くなるといけません
本題の「鉢の鑑賞」といきましょう

この今岡鉢は私が最近扱った中で、けっこう惚れ込んだものです


今岡町直作 変釉正方樹盆 間口6.5×奥行6.5×高さ6.5cm

「釉薬の魔術師」と呼ばれる町直の面目躍如たる作柄を示した作品です

天空から舞い落ちるように紫色の釉薬が鮮やかに散っています
この釉薬を何に例えるか、何と見立てるか、そこがこの鉢を鑑賞する際の最大のポイントでしょう

薄緑の垂れ釉(たれぐすり)も綺麗で、紫色の釉薬をよく引き立てていますし
ぽっていりとした足元の釉溜まり(くすりたまり)も自然な感じで、みごとです

どちらも炎が作り出す色彩の妙とはいえ、やはり偶然に頼るばかりでなく
作者の意図するところをうまく表現するための、火のたき方には熟練の技が必要なのでしょう


この角度もいい景色の釉薬の変化が見られますね
濃淡の緑が作柄に奥行きを与えています

幻想的な雰囲気


別角度より


光の関係でちょっと暗くなりましたが、鉢裏の様子

町直は火のたき方によほど熟練したいたのでしょう
釉薬が流れすぎて足にくっついて剥がした痕があるような作品にはめったにお目にかかりませんね

この鉢もみごとな釉薬の止まり方をしています


よほどの自信作であったのでしょう

いつものような「町」の落款の脇に「富士山」が描かれていますが
このようなことは町直にしてはまったく珍しいことです

このように、頭のてっぺんから足の爪先に至るまで
ネホリハホリと眺めて能書きをいう、このあたりが鑑賞の面白さです

2005年5月24日火曜日

水連の花

水連の栽培が流行っていますね
水面にぽっかりと咲く水連の清らかな雰囲気は、何か幻想的、さらにいえば崇高な感じさえします

盆栽だけでなく、是非皆さんにもお勧めしたい
ベランダでも、姫水連なら小さな水槽で充分に栽培可能です



まとめて買った盆栽鉢の中の、大きな水槽の中に溜まっていた「へどろ」の塊から芽を出した水連
一年間の丹精で今年は花が一輪咲きました

嬉しくなって思わずパチリ
みなさんにご紹介します

2005年5月21日土曜日

五葉松の魅力

盆栽界における「五葉松」の地位は、黒松、真柏とならびまさしく松柏類の王者といえましょう

昔から「五葉の松」として親しまれ、日本全国のどの地方での培養が可能で
自生地としては、四国の石鎚山系や那須地方、ならびに蔵王山系などが盆栽界で知られています

黒松の豪壮美、真柏の幽玄の美に比較すると、五葉松の持ち味は
温雅ともいえる穏やかで上品な雅の味が特徴です

長い盆栽界の変遷を顧みても、五葉松という盆栽樹種においては
「葉性・はしょう」、つまり太く短くそして撚れのない品格ある葉であることが最も重視されます

五葉松の歴史とはすなわち、優雅で品格のある葉の姿を求めやまなかった
幾多の先人たちの苦闘の歴史でもあったのです

ですから、みなさんが五葉松を求める際に、まず着目するのはこの「葉性」なのです
同じ産地のものであっても、厳密に言うと、一本一本すべての葉の性質は違っています

徒長しにくく撚れのない上品な葉を求めましょう


五葉松

実生から小さな盆の中で育て上げた五葉松、葉は太く短く、しかも撚れのない優れものです
木肌や姿は培養や整形でかなり改善できますが、葉の性質だけは先天性がものをいいますよ


正面上部より


後姿


後姿

2005年5月13日金曜日

養石とは?

水石の世界には「養石・ようせき」という言葉があります
石を養う、つまり盆栽の培養からヒントを得た造語ですが

川や山で採取した石を棚の上に並べ、日にあて水をやり
盆栽と同じように日々養い育てるのです

何、石を育てる???
とお思いでしょうが、言ってる本人たちは、本気なんですよ

もちろん何十年養い育てても、石は大きくなりません
小さくもなりません

それでは、何が育つのでしょう?
何を養うのでしょう?

毎日まいにち日に当てて水やりをすることにより
風格と時代感を養うのです

石は、川の底や山の土中に埋もれたままの、自然の風雨や日光に晒されていない状態では
何十年経っても、いわゆる「時代感」はつきかないのです

日に当たり、雨風に打たれ、濡れたり乾いたりを繰り返すうちに
時代感がつき、それとともに風格が出てくるのです

ですから、愛石家は「養石」という愛情を込めた言葉を考え出し
棚の上に置いて、物言わぬ石に毎日まいにち飽きずに水やりを繰り返します


養石の棚

地面にじかに置くのはいけませせんよ
泥が撥ね上がって汚れると、時代感がつくのが遅くなります、かならず棚の上で養石するように

ただし、コンクリートの上なら汚れませんね
それはOKです


かけた水が半乾きになっています
盆栽の水やりのときに、さらっと濡らしてやりましょう


右隅に箱に入った小さな石が沢山ありますね
四国の四万十川の石ですが、あれだってもう10年は養石していますよ
あの中にけっこうな優れものがあるんです

それでは、今日は浮世離れした気の長い「養石」のお話でした

2005年5月10日火曜日

楓葉透かし

春先にいっせいに伸びだした雑木類の芽摘みが一段落したころですね
ところがここでやれやれと油断してはいけませんよ
5月末の葉刈りの前に「摘み残しの芽の整理」と「葉透かし」という作業を行いましょう


春一番の芽摘みはあらかた終わっている状態
しかし、多くの葉が繁ったこの時期になると、奥の方の芽などが判別しにくくなってきます


この楓は樹冠部を完成させるために、今年一年は頂上の芽を伸ばす必要があるので(下図参照)
まず、目的の芽を摘んでしまわないように、前もって掌握しておくこと
指で摘んだこの芽は、絶対に切ってはいけない芽


冬の姿


手探りで摘み残しの芽を探します
ありましたよ

既に爪の先では摘み切れませんから、ハサミを使って「一芽残し」で切り取ります


そのときに、強い芽の片方の葉を刈り取ります
これが「葉透かし」

勢いを制御する
内側の葉や芽に日と風通しを図るための作業です


もう一度おさらい


芽先を摘んで、片葉を刈る


全体の外側部分にざっと「摘み残しの芽の整理」と「葉透かし」を行いました
ずいぶん葉数がへりましたね
これによって、強すぎる芽は制御され、内側に日光や風も通るようになりました

葉刈にはまだ早過ぎますね
あと半月ほどして「葉が固まる」ころまで待ちましょう

2005年5月5日木曜日

月之輪湧泉・鉢の修理について

形あるものはいつか必ず壊れる、そういう運命に在るのでしょうが
ご紹介するこの名品中の名品の月之輪湧泉を、ちょっとした不注意で真っ二つに割ってしまった私の友人

「落としたときに、いい音したっけッ」
いい音とは、忘れられない耳に残る忌まわしい音ということですね

それにしても、盆栽界でいうところの「直し」が上手く出来ています
ちょっと見では気がつかないほどです

さて、ここでいい機会ですから、みなさんが盆栽界でちょくちょく見かける「直し鉢」によるトラブルに巻き込まれないために
鉢の修理について勉強しましょう


月之輪湧泉

数ある湧泉作品の中においても名鉢と誉れ高かった湧泉初期作品
ふとした粗相により、真っ二つに割れてしまったのですが

その姿の消滅を惜しんだ所有者が骨董関係の専門修理家に依頼し
資料としての貴重性を保ちながら、短期的な実用にも充分耐えうるよう、みごと復元しました

この正面の姿からは、「直し」の痕跡は見えないでしょうね


正面の拡大図
アップの画像からも「直し」の箇所はないようです


この角度からはいかがですか?
「直し」はないようです


同じく側面をのぞく角度より
ここにも「直し」の痕跡はありません


反対正面より
この正面には「直し」があるのですが、ちょっと分かりづらいですね



拡大してみます
向かって右隅、縦方向に修理の痕跡発見!

なんとなく汚れた感じの不自然な箇所がありますね
そこが「直し」の箇所です


側面拡大図
ここにも「直し」の箇所は見当たりません


同じく側面拡大図
向かって左隅、縦方向に修理の痕跡有り!

人物の向かう方向の岩と草むらの辺りに不自然な汚れめいた箇所があります
そこが「直し」の箇所です


縁の左上隅と右下隅に修理の痕跡があります
隅に描いた花文様が乱れていますね


高度な修理技術により修理痕の判別が不能なほどです
「直し」はあるはずなのですが、かなり高度な修理技術です


「直し」「修理」と表示されずに売買されている場合もありますよ
そのような品物は、本来それと表示されて売買されるはずもののです

みなさん、よく勉強して自己防衛!

2005年5月3日火曜日

支那鉢の勉強2・古さへの憧れ

古代中国において黄色は皇帝を象徴する色でありました
盆栽界における黄均釉の人気はそれにあやかった訳ではないでしょうが

青色や水色の均釉と並んで最も人気の高い作品ですが
その作品数は、ザット見ても青色水色に比べ1割にも満たないと思えます

故に、昔から貴重品とされ、非常に手に入りにくいものでした


支那鉢  黄均釉切立長方鉢

ぶっきらぼうなほどの切立形(きったちがた)の縁とボディーの姿ですが
間口と奥行きの比率、ボディーの側面の傾斜角度、切り足の比率などのバランス感覚がみごとです

それに、直線の醸し出す全体の印象が、尖り過ぎないで、静かな端正さを保っているのは
一発仕上げによる非凡な技術によるものと思われます

確かな伝統と技術が強く感じられるところであり
これが支那鉢の最大特徴であり魅力なのです


さすが100年の歳月がものをいいますね、時代感抜群
釉薬が時代感の奥深くから神秘的とさえいえる輝きを見せています


釉薬の止まり具合にも鮮やかな手際が感じられ、ただただ感心
赤い実物や花物盆栽を植えたら映えるでしょうね

みなさん、大いに支那鉢を見直して使いましょう!

2005年5月2日月曜日

支那鉢の魅力1・古さへの憧れ

近年の盆栽界は、日本鉢全盛の時代といえる人気傾向を示しています

大き目の盆栽鉢では舟山や行山などが代表的で、小品盆栽では東福寺を初めとして一陽、香山
そして、絵鉢では湧泉、石州、一石など、枚挙に暇がないほどです

とはいえ、盆栽は支那鉢の存在を抜きにしては語れず
歴史を振り返っても、それらがこの世界の発展に果たしてきた役割は非常に大きいのです

昔はまったくの高嶺の花であったものが、価格面から言っても近年では
以前では考えられないくらいの身近な相場で買えるようになりました

盆栽屋.comも、そろそろこのあたりでみなさんに、古い「支那鉢」の優秀さを再認識し頂くために
優品の発掘に乗り出したいと考えています

それにあたって、盆栽屋.comがいうところの「支那鉢」とは、あくまで「戦前」の中国で製作されたものを指し
戦後から現在に至るまでの新渡(しんとう)とは厳しい一線を引いている、それをお伝えしておきます

よろしいですか、この厳しい一線が支那鉢を語る上で非常に大切なのですよ
戦争をまたいだだけで、両者の品質はまるっきりレベルの違うものなのです


支那鉢 白均釉三味胴長方鉢・しろきんようしゃみどうちょうほうばち

外見的な支那鉢の特徴は第一にそのすっきりとした「線」の美しさに有り
直線、曲線とも一発仕上げの技による端正で優美であることが持ち味です

オートメ化されていない時代の、高度な手作りの技があればこその線の持ち味です
それに加え、土味の堅牢さ、釉薬の冴えなど、今日の新渡では決して見られない奥行が感じられます

そして、何よりもおよそ100年前に作られた作品です
長い年月が釉薬に落ち着きを与え、侘び寂びを求める盆栽人の心に訴えるかける趣があります

このように三味線の胴のような膨らみを持った独特のボディーを「三味胴」と呼びます
かの三琇一陽にもこの形の作品がみられますが、やはりそのルーツは支那鉢にあったのです

人気抜群の釉薬である均釉の中でも「白均釉」はごく少ないもので
白耕交趾(しろこうち)とは厳然と区別されます


縁の内側が使い込みにより真っ黒ですね
胴の部分は、釉薬の白さを浮き立たせるために時代を擦り落としたと思われます


鉢の内部には一発仕上げのヘラ痕が見られます
これが支那鉢の特徴です

まさしく、名人・水野東福寺など日本鉢の先人達が目指した世界がこれなのです
彼らは支那鉢に学び、それらを凌駕する作品を目指し血の出るような努力をしました


価格のことに触れるのはこのつれづれ草の本位ではありませんが、敢えて申し上げると
一昔前(およそ15年以前)であれば、この白均釉クラスでは市場価格は確実に10万円以上でしたね

価格下落の要因は、まず新渡の過剰な輸入による相対的な価値観への心理的影響と
さらに、支那鉢本来の持つ優美な間口と奥行きの比率が、現代の太味のある盆栽では窮屈になった
その2点が主な理由でしょう

しかし、価格は下がっても観賞価値は下がるものではありませんし
とくにミニ盆栽においては、それほどの奥行きを必要とはしない場合が多いので
このあたりが支那鉢の優秀さを見直す絶好の機会だと思います

2005年5月1日日曜日

がんばれ豆杜松!

この豆杜松に出会ったのは、昨年の今頃でしょうか

ある同業者を訪ねた折、愛好家の大量放出品として棚に数百鉢のミニ盆栽が並べられいたその中から
選りに選り抜いた逸品でした

伊勢産の杜松です
この地方に産する杜松の山採り品は、ジンが硬く葉性が詰まって短く徒長しないので
小品盆栽に真向きの性質を持っています

聞くところによるこの数十年の間の乱獲により
いい素材はほとんど採りつくされ、皆無に近い状態だそうです

私の長い盆栽歴の中でも、これくらいのサイズ(樹高4.5cm)でこれほどの図柄をもった逸品は記憶になく
今まで所有していた愛好家さんは、かなりのベテランで、センス抜群の方だったと想像できます


昨年の異常な暑さのため、やや樹勢を落としました

小さいだけにちょっとヒンヤリさせられましたが、よく観察すると、元気がないというより
あまりの暑さに木が小休止という状態でした

そんな時には水をやや控えめにし、肥料はやらずに
風通しのいい涼しいところで培養するようにします

そして、観察するのは芽の先です
元の方に少々枯れ葉が出ても、芽の先がしっかりと緑色をしていればまず安心、慌てることはありません


冬の管理は

凍らさず、霜や乾いた北風には絶対に当てないようにし
日中の日光浴はたまには必要です

しかし、日中にあまり温度が上がり過ぎて夜間との温度差がついてはいけません
人間と同じように、植物にとっても温度差は風邪引きの元なのです

おかげで、今年の春の芽出しは順調で
ただ今、北海道の愛好家さんのところへ引越しする日を待っているところです

連休明けあたりになるでしょう
昨秋にお約束したのですが、冬越しが心配なので半年間待っていただきました

北の大地で、がんばれ豆杜松!
と思わず励ましたくなるほど、小さく健気な杜松の姿です

鬼も十八

(緑風盆栽展より)


盆栽を鬼に例えると叱られるかもしれませんが
もっとも美しい見ごろはどの樹種にもありあます
しかも毎年「鬼も十八」の時期が訪れるのですから、持ち主も張り合いです

この藤の盆栽は今の時期こそ「鬼も十八番茶も出ごろ」です
藤棚の下に緋毛氈(ひもうせん)を敷いて花見に興じるとびっきりの美人群・・・
華やかな連想にひたれる一時です

四季折々にいろんな樹種の出番があって、盆栽界は鑑賞する対象には事欠きません
そう思うと、四季のはっきりした日本の気候は盆栽人にとって天の恵みです
そして、もし日本の国がこういう気候でなかったら、日本人は四季に敏感な国民性を持たず
盆栽文化は生まれなかったでしょう