二代平安東福寺は大正8年の生まれで、本名・水野勇
作陶歴は意外に短く、昭和7年ころより昭和14年の出征までの前期と
それよりかなりの空白を経た、昭和45年の初代の死後の後期に大別できます
現存する水野勇の真作のほとんどには「二代」「勇作」「ゆう作」の落款が
父親譲りの楓落款などと併用されており、かなりの出来栄えのものが見られます
ところで、その作品群全体に対しては、偉大な父の陰に隠れた、いはば日陰者的存在の印象が強く
正当な評価がなされていないというのが偽らざるところです
例えば東福寺の贋物を称し「これは初代ではない、二代目だよ」と表現するように・・・
東福寺に多く見られる贋物の代名詞が「二代目」では、これは浮かばれない
浮かばれないどころか、盆栽界のためにならない、みなさんもそう思うでしょ
どうしてこのような混乱が生じるようになったのでしょうか?
水野勇氏は初代亡き後、自ら意識して父の作風に似せ(心ない誘惑もあったのでしょう)
「二代」「勇作」(ゆう作」の落款を併用しない作品を発表した一時期があったのです
また、作風の多彩な東福寺の外見は、意外と真似がしやすい
そんな理由もあるでしょう
だが、とにかく、東福寺といえば初代・水野喜三郎の作品
二代といえば二代・水野勇の作品であって
その他のものは、ありていに言えば「贋作」なのだということを、再認識する必要があります
これは「二代」を「贋作の代名詞」で終わらせないためであり
また同時に、贋作の横行を防ぐ手立てでもあるのです
再び例えれば、東福寺の贋作に対して「二代目でも、とにかく東福寺には間違いないよ」などの
いままで半分くらいは有効であった「言い訳」「言い逃れ」は通用しなくなりますね
しばらくは混乱するでしょうが、これは避けて通ってはいけない道であると確信しています
私たち業者自らも、痛みを伴った改革をするべきです
平安東福寺(二代・水野勇) 梨皮泥切立雲足丸樹盆 間口16.5×奥行16.5×高さ9.8cm
父親の指導に従い、その作風の影響を素直に伝えた傑作
胴のイメージや縁の上部、また雲足の作りに初代東福寺の影が強く感じられますね
別角度より
鉢裏と足の様子
父親譲りの楓落款と自らの落款の併用
小さめの楓落款です
漢字の「勇作」の方が多いようです
平安東福寺(二代・水野勇) 均釉外縁雲足長方樹盆 間口14.8×奥行11.3×高さ4.5cm
長らく日本小品盆栽協会々長をお勤めになった阿具根登(元参議院副議長)先生の旧蔵品
傑作でしょ、二代・水野勇の真作です
やはり形、釉薬、雰囲気など初代の作風の影響が濃厚に見られます
鉢底
この楓落款が普通サイズのものです
やはり自らの落款と併用しています
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