2018年2月12日月曜日

国風盆栽展第一回②

国風展の今年の入選率はおおよそ80%位だったように聞きました。ここ数年ではちょっとばかりですが、厳しさは持ち直したようです。この数年入場者数は伸びている感じなのに、一方出品数は伸び悩んで業界でもレベルの低下を恐れ危惧する声がだんだんと大きくなってきました。

というのも、つい10年ほどまえまでの競争率は驚異的で、国風展は落ちて当たり前の世界で、入選率は50%前後があたりまえで、厳しく高いハードルが当然と思われていたのです。ですから、国風展は何度も挑戦した挙句の10年選手が初入選することなど珍しくはなかった時代が続いていました。さらに、これほどの難関だからこぞ国風文化のレベルは維持される、と信じられてきた面もあります。

それでは、この国風盆栽展のごく初期のころの盆栽界ではどのような様子だったのでしょうね。
出品者の身分や職業、出品数や樹種、それに樹形の傾向など、推測すれば興味はつきません。

左から石榴、五葉松、真柏の順の一席。現代では三点飾りの場合、一点は草を入れて総体のバランスをとったり季節感を演出するのが常套になっていますが、このころではまだ席飾りの定石の完成度が未熟だったような気がします。

上下三尺七寸(約1.1m以上)の真柏の大懸崖と木瓜と山桜桃。
この時代ですから、真柏は間違いなく山採りものでしょう。現代盆栽の方が葉数は多く作る傾向にありますから、もっとボリュームのあるすごい迫力になるでしょう。

昔はこのような飾り席も設けたようです。左は内村保夫氏の五葉松で、右は斉田金作氏の寒木瓜石付となっています。ちなみにこの斉田金作という方は、現代における木村正彦氏のような存在で、針金掛けによる整形の名人といわれた戦前の先駆者です。

大貫忠三氏といえば戦後のかなり長い時期まで活躍された盆栽史上有数の収集大家です。
左より真柏懸崖、富士桜、蝦夷松の三点飾りです。

それにしても、100年もまえの盆栽の写真を見ながらブログを書いていますが、それらの幹筋のいい、そして、しまりのある枝ぶりの盆栽たちを見ていると、ほとほと感心させられますね。

五葉松と真柏の一席ですが、山採りらしい上品な持ち込み品には感激です。
100年も前に盆栽がこんなに洗練されていたのです。感動!

九霞園の席。赤松の文人と蝦夷松の根連なり。
清潔感と優雅でゆとりのある美しさで溢れています。

佐竹義春公の五葉松の一席。

戦前の盆栽会において蝦夷松の収集家としての挿話が現代まで語り継がれるほどに有名な頼母木桂吉氏の一席。左は蝦夷松の根連なりの石付けと右は五葉松の懸崖。

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