年と経るに従い、親しかった人たちとの別れも多くなるにしたがって、次第に慣れっこになってしまったようだ。たった数年前のできごとでも何故か昔の思い出話のように遥か遠くのことに思われて、まるで雲を掴むような頼りない記憶のかなたの出来事に感じられてしかたがありません。
これは確か一昨年、明治神宮の水石展示会の搬入の日に広二さんと話し込みながら製作を依頼した記憶があります。石の産地を訪ねると、おそらく九州地方の産だよ、との返事でした。産地よりも姿と大きさと味わいに惚れたもので、自分としてはかなり気に入っています。
裏側です。
完成して送ってくれた梱包の中に、逆さまの副台座がはいっているではありませんか。そして、小さなメモ用紙に、あまりにかわいいのでサービスで作りました、と走り書きされていました。
広二さんと私のお付き合いは直接ではあまり古くはなく、日本水石組合が正式に発足して同じ役員として活動するようになってからです。
しかし、なんとないほのぼのとした人柄と真面目さ、水石と台座作りにかける熱意は、話ぶりや外見の柔和な印象よりもかなり自分に厳しい人だと思われました。
メインの台座。
プレゼントしてくれた副台座にも「広」の落款が入っています。
ありがとう、さようなら、広ちゃん、もうちょっと長くつきあいたかったね。
もうあと2~3回でいいから上野で飲みたかったね。
そしてなによりも、もう広ちゃんに仕事を頼めないのが辛いねー!
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