2004年4月28日水曜日

薩摩焼豆鉢考

豆鉢の歴史は、江戸期における雛飾り用のミニュチュア鉢(造花用)を
豆盆栽に流用したのが始まりだといわれています

また大名が参勤交代の折に、籠の中にしつらえた棚に造花を飾って無聊を慰めた、ともいわれていて
小指の先ほど、直径1cmくらいの豆鉢も存在します

いずれも大名や大身旗本などのあいだで流行したものですから
ミニュチュアといっても一流の陶芸師によるレベルの高い作品ばかり

豆盆栽の先覚者といえばなんといっても
旧高松藩の12代の殿様であった松平頼壽伯爵(国風盆栽会初代会長)

松平伯爵をはじめとした豆盆栽の愛好家達は
旧お庭焼(藩お抱えの窯)の窯元などに豆鉢を注文しています

薩摩焼や伊万里焼、尾張焼、九谷焼などがその代表的なものです

こうゆうわけで江戸期や明治期にかけての豆鉢が
現在に至るまで盆栽界に伝えられているのです

頼壽公遺愛の豆鉢も現在に伝えられていますが
まさに盆栽界の宝物です

日本人のミニチュア好みは今に始ったことではなく
大名諸侯にいたるまでの、昔からの伝統的な嗜好なのですね


薩摩焼色絵六角豆鉢

この小ささ、この色彩、かわいらしいの一語に尽きます

最近まで著名な豆鉢コレクターの窪寺一郎氏の所蔵品であり
昨年の近代盆栽誌上(11月号」において詳しく紹介された珍品の珍品です

この豆鉢は昔からコレクターの間で、それと知られた作品でしたが
薩摩焼の豆鉢はその数が少なく、窪寺コレクションの中でもひと際異彩を放つ作品でした

江戸末期の雛飾りのミニチュアとして制作されたものと推定されます
ゆっくりと鑑賞してください


冒頭でおはなししたように、大名家の雛飾り用に作られ、造花を植えて飾られたものを
明治になって豆盆栽の先駆者達が盆栽鉢として転用したのですね



大名家で使われたものだけに、形、絵付けとも優れた装飾性が感じられます
紅白の椿を表裏に描いています


100年以上の歳月を経ても釉薬の色艶は冴えていますね




使い込みの味、時代感も抜群です
おそらく実際に豆盆栽を入れて使用した期間も長かったのでしょう

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