京焼外縁丸
先週あるところで京焼の金襴手の上等品に出会って、手に入れることができました。商品の売買は盆栽屋にとっては毎日の日課の一部なのですが、とにかく気に入った品を気に入った価格(!)で買うことができたときの爽快感はまたかくべつなものがあります。例えていえば、盆栽屋冥利につきるとはそんな気分を表す言葉だと思います
さてさて、前置きはそのくらいにして実物を見てみましょう。古い桐箱つきで京焼外縁丸と書かれています。形は外縁で胴の中ほどに紐が廻っていて足はベタ足です。
このシンプルな形状から鑑賞だけでなく実用にも優れた鉢であることがわかります。ところがこの鉢を初めて見た瞬間から、私は何か不思議なある興味深い印象にとらわれていました。
京焼の代表的な技法である金襴手の華やかさと精緻な雰囲気がみごとでし、さらには細部を見ると、金襴手の下地の白磁釉がたっぷりと施された感じに製作者の息吹のような勢いが感じられてとても新鮮です。
ところが、このように京焼の代表的な作品には違いないのに、なぜか不思議に支那大陸の匂いがしてならなかったのです。もちろん鉢そのものは気に入っているのですから、その匂いは私にとっては、いい匂いであることにはちがいありません。
永楽善五郎を代表とする金襴手の華やかな意匠がみごとで、京焼であることには間違いあえいません。
鉢底に厚目に施された下地の白磁釉の部分の質感もなかなか味がありますね。ざっくりと開けられた二つの水穴にも不思議なほどの存在感があります。
私の当初から感じている違和感は、もちろん私はそれ故に余計この鉢に魅力を感じているのですが、この水穴を中心した鉢底の景色において最高潮になるのです。支那大陸の匂い、すなわち南京鉢のことです。
内側の作りにも力強い大陸の造形感覚が感じられます。そう思うと、やや半磁器っぽい堅牢な土目も、京焼よりも南京に近い雰囲気を持っているようにも見えてくるのです。
この鉢を見た私の親しい鑑定仲間のひとりは、成型から白磁釉までは中国の南京として作らたものが、渡来して以後に京焼の金襴手を施されて京焼として新たに生まれ変わった作品である、との大胆な推論を立ててくれました。
と云う訳で、その説の真偽のほどは今更たしかめようがありませんが、とにかく日中にまたがるハーフ鉢じゃないかと推測される素晴らしい作品に巡り合った私でした。
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