私が謙斎の銅盤にはじめて出会ったのは20代の前半
入ってみたはいいが盆栽界の右も左もよくわからず、かといって好奇心だけは旺盛な年ごろでした
私は数年前に東京から新開地の松戸に移住したばっかりでしたが
そこから直線距離で2~3キロの隣町に、当時日本の水石界で大家と謳われたSさんがお住まいだったのです
そして、東京の大先輩の業者のN師の導きでS家への出入りができるようになり
Sさんから水石についてのさまざまの薫陶を受けることになったわけです
そのころには作者・謙斎はかなり高齢ながらも健在であったようで
Sさんもかなりの数の特注品を所有しており、未使用の水盤も物置にたくさん積んでありましたっけ
それらの中で、作柄がいいなと思う水盤の裏側をよく見ると
真ん中に「謙斎」と印された落款がある他に、足の際の隅に「一雨鑑」という刻印も捺されていました
それが、後に景道片山流の始祖となる片山一雨翁の落款であることを
Sさんが懇切に教えてくれました
謙斎は注文品が仕上がると、それらの鑑定を片山一雨翁に依頼し
その中から特に上作と認められたものにのみ「一雨鑑」の印を捺したそうです
また、謙斎の円熟期は昭和の30年代から40年代にかけてであったようなことを
Sさんの口からじかに聞いた覚えがあります
以来40年、今では私が当時のお二人の年齢になってしまいましたが
謙斎水盤に接するたび、水石の道に導いてくれたSさんやN師のことが懐かしく思い出されるのです
また、吸収力のいいあの時期にSさんやN師に出会っていなければ
きっと私は、本格的な水石の真髄にふれることができずに、40年が過ぎてしまったことでしょう
昭和30~40年代にかけての作品と推定され、作柄もよく使い込みの味が抜群
足以外のボディーは、いわゆる一枚の素材からの「叩き出し」の技法によるものです
落款は「謙斎」とあり、さらに「一雨鑑」の印も捺されている逸品です
縁の拡大図
このデリケートな曲線は熟練の高度な技が造りだします
優雅で繊細な姿
発注者の意匠力と作者の技が重なり合って逸品となるのです
材質のよさが見て取れる底のようす
間口34.2×奥行19.8×高さ2.0cm
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