石仙堂命名の「嵯峨重塁」についての説明が不足しているようなので補足します。
京都盆地の北西部に位置する嵯峨地域は、なかなかに複雑な地形をしており、そのような風景の共通のたたずまいから命名に至ったのでありましょう。
辞書で調べると、塁は土で幾重にも重ねた小さな城のことを言うそうです。
ですから、幾重にも険しく重なった嵯峨の険しい山間部の様子を重塁と名付けたのでしょう。いくつもの鋭い峰が切り立っていますね。
峰々には多くの小城が重なり隠れています。
何とも迫力のある命名ですね。
昭和の中期から後期にかけて石友斎百穂氏により、多くの銘品が地元を離れ東京へと運び込まれました。