冬囲いを解いて1週間経ちました
その後に一晩だけ寒さがぶり返し、鉢土の表面が凍った夜がありました
毎年のことですが、冬囲いを解いた後の天候は気になりますね
みなさんは上手くいきましたか?
さて、雑木の植え替えは早い人は2月初旬くらいから始める人もいますが
樹種や芽の伸び具合によってはまだまだ間に合います
楓の芽がほころびかけてきましたが
このくらいの芽の進み方なら、後の管理さえ怠りなければまだ大丈夫です
注意
1 風に当てない
2 遅霜に当てない
3 水を切らさない
”かえって芽先の伸びが制御される”
ベテランの人はそういう意図を持って、わざわざこの時期を選ぶこともあります
この楓は、植え替えの予定で仕事場に取り込んだおいたのですが
都合で数日そのままで放置されたものです
置かれた場所が南向きの日当たりのいいとっころなので
さあ、と思ったときには、ほころびかかった芽が伸び始めてしまいました
もうだめです、植え替えは来年まわしになってしまいました
というわけで、画像から植え替え時期の目安と限界を観察してください
ちなみに、↓の楓くらいの芽の出たときが、植え替えにはもっとも危険な時期です
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2005年3月25日金曜日
2005年3月23日水曜日
二代平安東福寺
二代平安東福寺は大正8年の生まれで、本名・水野勇
作陶歴は意外に短く、昭和7年ころより昭和14年の出征までの前期と
それよりかなりの空白を経た、昭和45年の初代の死後の後期に大別できます
現存する水野勇の真作のほとんどには「二代」「勇作」「ゆう作」の落款が
父親譲りの楓落款などと併用されており、かなりの出来栄えのものが見られます
ところで、その作品群全体に対しては、偉大な父の陰に隠れた、いはば日陰者的存在の印象が強く
正当な評価がなされていないというのが偽らざるところです
例えば東福寺の贋物を称し「これは初代ではない、二代目だよ」と表現するように・・・
東福寺に多く見られる贋物の代名詞が「二代目」では、これは浮かばれない
浮かばれないどころか、盆栽界のためにならない、みなさんもそう思うでしょ
どうしてこのような混乱が生じるようになったのでしょうか?
水野勇氏は初代亡き後、自ら意識して父の作風に似せ(心ない誘惑もあったのでしょう)
「二代」「勇作」(ゆう作」の落款を併用しない作品を発表した一時期があったのです
また、作風の多彩な東福寺の外見は、意外と真似がしやすい
そんな理由もあるでしょう
だが、とにかく、東福寺といえば初代・水野喜三郎の作品
二代といえば二代・水野勇の作品であって
その他のものは、ありていに言えば「贋作」なのだということを、再認識する必要があります
これは「二代」を「贋作の代名詞」で終わらせないためであり
また同時に、贋作の横行を防ぐ手立てでもあるのです
再び例えれば、東福寺の贋作に対して「二代目でも、とにかく東福寺には間違いないよ」などの
いままで半分くらいは有効であった「言い訳」「言い逃れ」は通用しなくなりますね
しばらくは混乱するでしょうが、これは避けて通ってはいけない道であると確信しています
私たち業者自らも、痛みを伴った改革をするべきです
平安東福寺(二代・水野勇) 梨皮泥切立雲足丸樹盆 間口16.5×奥行16.5×高さ9.8cm
父親の指導に従い、その作風の影響を素直に伝えた傑作
胴のイメージや縁の上部、また雲足の作りに初代東福寺の影が強く感じられますね
別角度より
鉢裏と足の様子
父親譲りの楓落款と自らの落款の併用
小さめの楓落款です
漢字の「勇作」の方が多いようです
平安東福寺(二代・水野勇) 均釉外縁雲足長方樹盆 間口14.8×奥行11.3×高さ4.5cm
長らく日本小品盆栽協会々長をお勤めになった阿具根登(元参議院副議長)先生の旧蔵品
傑作でしょ、二代・水野勇の真作です
やはり形、釉薬、雰囲気など初代の作風の影響が濃厚に見られます
鉢底
この楓落款が普通サイズのものです
やはり自らの落款と併用しています
作陶歴は意外に短く、昭和7年ころより昭和14年の出征までの前期と
それよりかなりの空白を経た、昭和45年の初代の死後の後期に大別できます
現存する水野勇の真作のほとんどには「二代」「勇作」「ゆう作」の落款が
父親譲りの楓落款などと併用されており、かなりの出来栄えのものが見られます
ところで、その作品群全体に対しては、偉大な父の陰に隠れた、いはば日陰者的存在の印象が強く
正当な評価がなされていないというのが偽らざるところです
例えば東福寺の贋物を称し「これは初代ではない、二代目だよ」と表現するように・・・
東福寺に多く見られる贋物の代名詞が「二代目」では、これは浮かばれない
浮かばれないどころか、盆栽界のためにならない、みなさんもそう思うでしょ
どうしてこのような混乱が生じるようになったのでしょうか?
水野勇氏は初代亡き後、自ら意識して父の作風に似せ(心ない誘惑もあったのでしょう)
「二代」「勇作」(ゆう作」の落款を併用しない作品を発表した一時期があったのです
また、作風の多彩な東福寺の外見は、意外と真似がしやすい
そんな理由もあるでしょう
だが、とにかく、東福寺といえば初代・水野喜三郎の作品
二代といえば二代・水野勇の作品であって
その他のものは、ありていに言えば「贋作」なのだということを、再認識する必要があります
これは「二代」を「贋作の代名詞」で終わらせないためであり
また同時に、贋作の横行を防ぐ手立てでもあるのです
再び例えれば、東福寺の贋作に対して「二代目でも、とにかく東福寺には間違いないよ」などの
いままで半分くらいは有効であった「言い訳」「言い逃れ」は通用しなくなりますね
しばらくは混乱するでしょうが、これは避けて通ってはいけない道であると確信しています
私たち業者自らも、痛みを伴った改革をするべきです
平安東福寺(二代・水野勇) 梨皮泥切立雲足丸樹盆 間口16.5×奥行16.5×高さ9.8cm
父親の指導に従い、その作風の影響を素直に伝えた傑作
胴のイメージや縁の上部、また雲足の作りに初代東福寺の影が強く感じられますね
別角度より
鉢裏と足の様子
父親譲りの楓落款と自らの落款の併用
小さめの楓落款です
漢字の「勇作」の方が多いようです
平安東福寺(二代・水野勇) 均釉外縁雲足長方樹盆 間口14.8×奥行11.3×高さ4.5cm
長らく日本小品盆栽協会々長をお勤めになった阿具根登(元参議院副議長)先生の旧蔵品
傑作でしょ、二代・水野勇の真作です
やはり形、釉薬、雰囲気など初代の作風の影響が濃厚に見られます
鉢底
この楓落款が普通サイズのものです
やはり自らの落款と併用しています
2005年3月17日木曜日
たる源の話
京都の桶屋の老舗「たる源」の三代目・川尻利三郎は明治29年の生まれ
自然味を重んじた作風で知られた「豆盆栽」の名人であったそうです
「たる源」と「たる源好み」の落款の区別については
「たる源」は自ら手を染めた作品
「たる源好み」は陶工に発注製作した作品と解釈しておけばいいでしょう
たる源好み 染付丸鉢
精巧なロクロ技術
やや押さえ気味の呉須の色彩が独特の落ち着きをみせています
鉢裏
使い込みの時代感が素晴らしい
たる源好み 染付丸鉢
↑の作品とは、磁器の土目と絵付けの筆致など、雰囲気がやや異なっています
おそらく、別々の陶工に製作依頼したものでしょう
別角度
別角度
鉢裏
たる源好み 五彩長方樹盆
たまにはこのような長方鉢も存在します
五彩の愛嬌にみちた絵付けです
↑の2点とはがらっと雰囲気が違いますね
ボディーも絵付けも他の陶工へ注文依頼したものでしょう
「紅梅」の図柄です
裏正面
「松」
鉢底
落款は釘彫の「たる源好」です
側面
「蘭」の図柄ですね
側面
「竹」でしょう
自然味を重んじた作風で知られた「豆盆栽」の名人であったそうです
「たる源」と「たる源好み」の落款の区別については
「たる源」は自ら手を染めた作品
「たる源好み」は陶工に発注製作した作品と解釈しておけばいいでしょう
たる源好み 染付丸鉢
精巧なロクロ技術
やや押さえ気味の呉須の色彩が独特の落ち着きをみせています
鉢裏
使い込みの時代感が素晴らしい
たる源好み 染付丸鉢
↑の作品とは、磁器の土目と絵付けの筆致など、雰囲気がやや異なっています
おそらく、別々の陶工に製作依頼したものでしょう
別角度
別角度
鉢裏
たる源好み 五彩長方樹盆
たまにはこのような長方鉢も存在します
五彩の愛嬌にみちた絵付けです
↑の2点とはがらっと雰囲気が違いますね
ボディーも絵付けも他の陶工へ注文依頼したものでしょう
「紅梅」の図柄です
裏正面
「松」
鉢底
落款は釘彫の「たる源好」です
側面
「蘭」の図柄ですね
側面
「竹」でしょう
2005年3月11日金曜日
水石の命名
昔の盆栽屋のほとんどが水石も扱ったもので
私も若い頃から諸先輩たちの薫陶を受けて育ちました
ですから、今では盆栽や鉢が主力の扱い商品になってはいても
いい水石に出会うと、こりゃいっちょう道楽してみよう、という気になるんです
昨日も小鉢の仕入れに行った先で、多摩川産の
そりゃあ古い持ち込みの、私好みの石に出会いました
多摩川は昔から名石の産出地として
関東では指折りの川なのです
大きさは間口13×奥行7×高さ6cmの手のひらに載る大きさで
真っ黒なまったくのウブ石です
正面より
真上より
山のてっぺんが理想的な位置にあります
裏面
凄い時代感でしょ
石裏は多摩川石独特のソゲで、手が入っていません
台座だって、これ、この通り,宙に浮かしたって外れませんよ、ピッタリです
それに、このアップ画像からも質のよさがわかりますね
気に入った石には銘をつけてやりたくなるのが常です
家に帰って晩酌をやりながら、撫で回して、ひとりでニヤニヤしながら、どんな銘が似合うかな?
今までの持ち主は、この尖った山の景から「槍」の文字を連想していたらいいんですが
それではありきたりで平凡です
この石の最大の特徴が、向かって左側の鋭角に切り立った断崖とその鋭い稜線にある、と見ていた私は
光線の角度により、山の表情が微妙に変化する様を、なんとか銘に結び付けたい考えていたのです
この山形石は右方向に向かってせり出しています
このような場合、向かって右方向からの光は、朝日と連想するのが普通です
逆に、ひと回りした日の光が、山の背(左方向)から差す頃は、夕日を連想します
この画像では、今まさに沈まんとした夕日が、切り立った断崖に照り映え
稜線はなおくっきりと鋭さを増し、さえぎられた光は山ひだに微かな明るさを与えています
更に時間が経過すると、切り立った断崖と稜線の作る影が山肌を包み
山には幽玄の闇が今まさに訪れんとしている一瞬の景色です
まあ、そんな勝手な連想から
この山形石の銘は「残照」と決めたのです
石の命名のコツは「一番美しく見える角度から何度も何度も眺めること」
それでは、勝手な自慢話、終わります
私も若い頃から諸先輩たちの薫陶を受けて育ちました
ですから、今では盆栽や鉢が主力の扱い商品になってはいても
いい水石に出会うと、こりゃいっちょう道楽してみよう、という気になるんです
昨日も小鉢の仕入れに行った先で、多摩川産の
そりゃあ古い持ち込みの、私好みの石に出会いました
多摩川は昔から名石の産出地として
関東では指折りの川なのです
大きさは間口13×奥行7×高さ6cmの手のひらに載る大きさで
真っ黒なまったくのウブ石です
正面より
真上より
山のてっぺんが理想的な位置にあります
裏面
凄い時代感でしょ
石裏は多摩川石独特のソゲで、手が入っていません
台座だって、これ、この通り,宙に浮かしたって外れませんよ、ピッタリです
それに、このアップ画像からも質のよさがわかりますね
気に入った石には銘をつけてやりたくなるのが常です
家に帰って晩酌をやりながら、撫で回して、ひとりでニヤニヤしながら、どんな銘が似合うかな?
今までの持ち主は、この尖った山の景から「槍」の文字を連想していたらいいんですが
それではありきたりで平凡です
この石の最大の特徴が、向かって左側の鋭角に切り立った断崖とその鋭い稜線にある、と見ていた私は
光線の角度により、山の表情が微妙に変化する様を、なんとか銘に結び付けたい考えていたのです
この山形石は右方向に向かってせり出しています
このような場合、向かって右方向からの光は、朝日と連想するのが普通です
逆に、ひと回りした日の光が、山の背(左方向)から差す頃は、夕日を連想します
この画像では、今まさに沈まんとした夕日が、切り立った断崖に照り映え
稜線はなおくっきりと鋭さを増し、さえぎられた光は山ひだに微かな明るさを与えています
更に時間が経過すると、切り立った断崖と稜線の作る影が山肌を包み
山には幽玄の闇が今まさに訪れんとしている一瞬の景色です
まあ、そんな勝手な連想から
この山形石の銘は「残照」と決めたのです
石の命名のコツは「一番美しく見える角度から何度も何度も眺めること」
それでは、勝手な自慢話、終わります